靖国神社は戦後「凍結」するべきだった。

こないだ北朝鮮がミサイルぶっ放して、一気に面舵一杯になるのかと思いきや、昨日の昭和天皇の発言メモニュースで、今度はどうも取り舵っぽい雰囲気になってきてるし。

ところで靖国神社問題だけれども、そもそも合祀とか分祀といった問題が起こるのは、戦後になってからもあの神社が政治的に祭神を加えていく活動をしていたことに起因すると思う。そういう意味で最近ことに思うのは、あの神社は8月15日、ないしは9月2日をもって、祭神を加えるのを止めるべきではなかったのか、ということだ。敗戦以降の軍国主義的傾向の芽を摘むためには破却した方がよかったのかもしれないが、存続を望む戦没者遺族のためを考えると、必ずしも破却する必要はなくて、今のように一宗教法人として存続させれば十分だろうと思う。

ただ、敗戦後の政治的活動には厳しく制約を課すべきだった。僕の考えでは、この神社が敗戦後も存続を許されるとするならば、そのもっとも大きな根拠は戦没者遺族の宗教感情に求めるべきであって、そこに政治的な思惑を持ち込むべきではないし、ましてや決してこの神社がもつ国家との関係によってではない。にもかかわらず、戦後もあたかも国家護持の神社であるかの如く自衛官*1A級戦犯を合祀し続けたが故に、政教分離の原則にもかかわらず、常に政治的存在として意識され続けた。

したがって、遺族の宗教感情のみを尊重し、国家との関わりを一切断つ、本格的な政教分離を目指すのであれば、靖国神社は1945年8月で凍結するべきだった、と僕は考える。もし敗戦直後にそのような形で靖国問題を解決しておけば、戦後60年も経って未だに靖国が政治問題化するなんてこともなく、「普通の」神社へと緩やかに転換していっていただろうに。

*1:自衛官を祀って問題になったのは山口の護国神社で、靖国ではなかったです