日本浪漫派。

永原氏シンポ話の続き。僕のやってる研究と絡んで個人的な関心としてもっているのは、以前にちょっとだけ書いたことがあるんだけれど、永原氏が戦前の歴史学や学問状況をどう考えていたのか、ということ。その辺の状況について僕はあんまり知識がないのだけれど、少なくとも日本史学がその頃どうなっていたのかっていう説明としては、基本的には“歴史学界を席巻する皇国史観”対“逼塞する実証主義”の構図が通説だったように思う。

けれど永原氏の認識では、ISBN:4642077979:image:small『20世紀日本の歴史学』でも書かれていたし、直接お話を聞いたこともあるのだけれど、皇国史観よりも日本浪漫派の影響力の方を重視するという認識に立っていた。で、皇国史観なんてのは当時から空虚な掛け声でしかなく、まともに考えられてなどいなかった、むしろ日本浪漫派が与えた影響力の方をちゃんと考えなくてはいけない、っていう話だったと思う。

つまり、戦前日本の歴史学の問題として、皇国史観の跳梁だけをスケープゴートにしていればいいという、そんなに単純な構図ではないってことになる。そうなると、おそらくは実証主義史学にも、批判の目を向けざるをえなくなる。もちろんそれは犯人捜しということではなくて、帝国主義国家における自国史研究のあり方を問い直すという視点で考えるべき問題だ。日本史における戦争責任っていえば皇国史観皇国史観を批判してれば戦争責任問題はクリアなんてのは、思考停止的な態度なのかもしれない。そういう意味でも、戦前の歴史学の問題は、改めてちゃんと考えていく必要があると、僕は思ってる。