尾張名古屋を巡見する。

先週は、火曜から木曜まで名古屋を中心に巡見旅行に行った。僕は火曜午前中は授業なので、この日の夜から参加した。

今回はJR東海ツアーズが発売している「ぷらとこだま」を使った。これは知っている人も多いと思うが、こだま号指定席をツアーとして販売するという旅行商品で、距離にもよるが東京‐名古屋で2000円ほど、京都までだと3000円ほど安くなる。もちろんこだま号の、しかも指定の列車以外には乗車不可という、なかなかタイトな条件なのだが、新幹線が使えてここまで安い商品は他に知らないので、時間にあまり制約のない時にはよく使っている。

乗車したのはお昼の13時26分発、こだま659号名古屋行き。名古屋到着は16時16分。大手町の駅に13時10分くらいに着くことができたので、お昼ご飯のお弁当と、もう仕事じゃないので350mlのビールを1本。お弁当は大丸地下の「茅ヶ崎えぼし工房」という和総菜のお店の海鮮丼。確か1000円しなかったので、東京駅でこの値段なら気持ち程度だなと思っていたんだが、ぶりなどの刺身が見えないところにまでたっぷり入っていて、いい意味で裏切られた。

こだま号は各駅に止まり、しかもそこでのぞみ号やひかり号の待避待ちをするお人好しな子なので、名古屋までは3時間。でも、軽くビールを飲みながら食事して一眠りするくらいの時間として、3時間は実にちょうどいい。午前中の授業の疲れもずいぶん取れた。

名古屋着。この日は熱田神宮にだけ一人で立ち寄る。


熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙の剣を神体とするとされる。記紀によると宝剣は熱田にあり、その複製が宮中と伊勢にあるとされる。しかしそもそも三種の神器の伝承は時代によってさまざまであり、また1185年の壇ノ浦の戦いで宮中の宝剣は安徳天皇とともに海中に没している。なんかよーわからんというのが実状みたい。

ちなみに熱田の社殿は、明治になってから熱田は伊勢に次ぐ社格だという主張が認められることになって、それまでの尾張造から神明造に立て替えられた。角田忠行という人がこの動きに深く関与していたようだ。しかし残念ながら、ちょうど工事中。10月には工事が竣工し遷座が行われるそうだ。


これは信長塀。桶狭間の戦いでの勝利を機に奉納したらしい。雨上がりの夕暮れなので、こんな変な写真になってしまった。


この日の夜に先発の一行と合流する。夜は手羽先で一杯。世界の山ちゃんというチェーンにも行ってみた。


翌日は班行動。僕は中世寺社建築をめぐる班に加わった。まず訪れたのは、尾張一宮の真清田神社。

この神社は、平氏一門の平頼盛領であったが、相伝の関係で久我家領となった。そのため久我家文書のなかに関連する史料がいくつか残されている。建物自体はそう古くはない模様。鳥居の前には大きなアーケードを持つ商店街が延びていた。


次に、一宮市立博物館を訪れ展示を見学した後、隣の妙興寺に行く。南北朝時代の創建で、この勅使門はその頃の唯一の遺構らしい。額の字は後光厳天皇筆。

これは仏堂。ここに掛かっている「妙興報恩禅寺」の字は足利義教筆ということだ。ちなみにこのお寺には義教の肖像画が伝えられている。奥の方には方丈や鐘楼もあった。