読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

出雲風土記の丘と出雲国府跡周辺。

出雲大社周辺の巡見を終えたのち、一畑電鉄に乗って松江しんじ湖温泉駅へ向かった。途中、一畑薬師や鰐淵寺にも寄りたかったのだが、時間の関係で今回はパス。

駅から歩いて数分のところにある宿に荷物を置き、そしてそこでレンタサイクルを借りて、一路、出雲風土記の丘まで向かう。

宿から出雲風土記の丘までは、たぶん5、6kmはあったんじゃないだろうか。すっかり市街地を抜け郊外の丘陵地帯に風土記の丘資料館はあった。

ここは出雲大社の脇に県の歴博ができたので、古代国府地域の展示に特化したような感じだった。ここで国府跡に関する大雑把な知識を得たあと、自転車で巡見に出発。まず訪れたのは神魂神社。かもすと読む。


この神社の案内板や由緒書によると、ここの建物は正平元年(1346)の棟札が出てきたということで南北朝時代の建築だされているのだが、東京に戻ってから調べてみると、どうやら天正11年(1583)の再建らしい。いずれにしても最古の大社造りの社殿ということで国宝に指定されている。




神魂神社から一段下りた辺りに、正林寺というお寺がある。このお寺には代々杵築社(出雲大社)の神主を務めた国造家のうちの一つ、北島国造家の墓所がある。のだが、どこにあるんだかよくわからなくて、結局見れずじまいだった。ところで実はここ、鎌倉時代中期以来出雲国造家が地頭職を保持していた大庭保の故地でもある。そのことと神魂神社で出雲国造の就任儀礼が行われることと、何らかの関係があるんじゃないかという気がするのだが、そこら辺はもう少し検討してみたいところ。



次に出雲国府跡に向かう。この神魂神社があるエリアと国府があるエリアとは、まさに隣接している立地だ。ただ、自転車で行くと一つ丘の向こうという感じで、完全に国府跡の盆地と一体化しているわけではない。距離にして、だいたい1kmくらいかな。国府跡は比較的よく整備されていた。やはり古代史で注目された地域の一つだっただけに、発掘も数多く行われ、さまざまな遺構が出土しているようだ。ただ、そういう成果をもう少し風土記の丘で展示してほしいなあ。

これは遠景。


これは国衙内の水路遺構を復原したものらしい。


これは国衙の正殿跡。その先に見えているのが六所神社。もともと別のところにあったものが、国府の衰退後この地に遷座されたのだという。いつ頃からあったのかは知らないが、かつて水野祐氏なども発言した出雲国府所在地をめぐる論争があったようだから、その頃にはまさか真下に国衙正殿跡があるだなんて考えてなかったんだろう。六所神社国衙近辺に総社としてよくある神社なので、それが正殿跡に鎮座しているというのは実に興味深い。




また境内付近には、考古学研究者の坪井清足氏の筆による国庁跡の碑も建てられていた。


ここは盆地状の平野のまんなか。国府跡から少し田んぼを北の方に行くと、こんな案内板が建っていた。

「十字街」と書いて「ちまた」と読むそうだ。ちまたと言えば、僕なんかは夜の歌舞伎町みたいなネオン街をイメージするのだが、ここのちまたはこういうところ。


うーん、さびしい(笑) ちなみにこれは東の方から西に向けて撮った写真だ。自転車はそのままだだっ広い田んぼを北に向けて爆走する。北の端っこに行き着いたら少し東に行くと、出雲国分寺跡がある。現在では法灯を継ぐ寺もなく、ただ古代遺跡としてのみ存在している。


ここもなかなかよく整備されていた。興味深かったのは、金堂跡の礎石は当時のままらしいということだ。発掘して出てきた礎石はたいていそのままではなく礎石を示す代わりの石が置かれていることが多い。ここの場合、どうやらすでに江戸時代から礎石が露出していたためにそのままになっているようだ。礎石マニア(笑)としては、現物の礎石がそのまま展示されているというのは非常にポイントが高い。

これは南門跡。

これが金堂跡の礎石。やっぱ本物は違うわ。

これは塔跡。もはやこんもりした土まんじゅう状態。これは塔の基壇なのかな。

国分寺の前からは南に延びる古代道が発掘されたそうだ。なんでも、田んぼの中に道状に稲の生えない土地が続いていて、掘ったら路面を石で固めてあった道路遺構が出てきたらしい。


国分寺跡からさらに北東の方に行くと、平浜八幡宮がある。ここは石清水八幡宮の別宮、つまり支店みたいなもので、出雲国の石清水別宮としては一番大きな神社だったらしい。武内神社とも言う。ここは国府跡があるエリアの端っこに位置する。要するに、国府を中心として神魂神社や八幡別宮などが存在するという感じだ。この八幡宮も、創建にあたっては国府近隣という立地が非常に重視されたに違いない。思っていたよりも大きな神社だったが、残念ながら中世の面影を残すような遺構などは見当たらなかった。




額は、この時には全然気づかなかったのだが、帰宅して写真見てる時に相方さんがぽろっと「若槻礼次郎じゃないの?」と言ったのが大正解だった。


ここにはなんだか「やる気達磨」なるものがあって、そもそもなんで神社に達磨なんだよとか思ったが、まあ神仏習合の本家的存在の八幡宮ならありかと思い、説明板にあるがままに水を掛けてみた。



もうすっかり日も落ちてきたので、さすがにここで巡見は終了。15時半に宿を出発した割には見たかったところには全部行けたのでよかった。けれども帰路も地図で図ったらざっくり7kmはあった。この日だけで20kmは自転車に乗ったんじゃないだろうか。

ちなみに帰路の途中に見かけたコンビニ。駐車場が「広い」を通り越して「広大」だった。