卒業生が母校に遊びに来ないことを願う。

もう4月になっちゃったので時機を逸した感はあるが、先月25日は卒業式だった。担当していた卒論の学生が謝恩会の幹事をやっていたので、僕も非常勤ながら招待され出席した。卒論の学生以外は、授業の時以外はほとんど話す機会もなかったので、向こうは覚えていてもこちらの方は顔がよくわからない。授業の登録者は100人以上いたから、どうしても学生と教員は非対称な人間関係になってしまう。

それはそれで仕方のないことだけれど、こうして教師の立場に立つと、ひとりひとりを個別にはよく知らなくても、なにかしら縁のあった人たちとして、これから先の人生を頑張ってほしいなと思う。僕が学生全てをよくは知らないように、学生ひとりひとりも、僕というひとりの教師の人格や個性などすっかり忘れてしまっても、ほんのなにか小さいことでも僕の授業のなかで学んだり気づいたりしてくれたならば、教師としてはよかったなと思っている。

僕は、学生が卒業後も用もないのに母校をちょこちょこ訪ねたりするのは、学生にとってはあんまりいいことじゃないと考えている。それは、現在の環境にうまく適応できてなかったりうまくいかないことがあったりして、かつての居場所だった母校を懐かしく感じているだけじゃないかと思うからだ。もちろん5年10年と経ったなら、たまには昔を思い出してそういうことがあってもいいかもしれない。けれども今春の卒業生にとって一番いいのは、卒業後の新生活が充実していることであるはずだ。

特に予備校では、よく元生徒が大学進学後に恩師の元を訪ねてるなんていう光景を目にする。教師だって人間だから、訪ねてきてくれること自体はうれしいしありがたいなとは思うけれど、僕自身は、別にわざわざ来なくったってちっともかまわないと思っている。そういうところで教師としてのやりがいを感じちゃったりアイデンティティを補強したくはないよな、とも思っている。むしろ僕の人格や個性とは切り離されたところで、何らかのことを学んでくれることの方が、教師としてはありがたいしやった甲斐もあるというものだ。

謝恩会に呼んでくれた今年の卒業生が、母校のことなどすっかり忘れて4月からの新生活を充実させていくことを、教師としての僕は願うのみである。