出雲大社とその周辺(後編)。

2007年にできた島根県立古代歴史文化博物館。


入口までの長いアプローチは、大社本殿の古図にある「引橋一町」をイメージしたものだという。この博物館は、すでに紹介した出雲大社境内出土の宇豆柱を中心に、神社はもちろん、荒神谷遺跡など出雲地域の著名な古代遺跡の展示も行っている。大社本殿建築の推定をめぐって、どのような考え方に基づいた推定があるのかを示している展示などは、展示に研究状況をリンクさせようとした試みとして興味深い。ただ、館名に「古代」という語が入っているように全般的に古代が中心で、その他の時代の展示ももちろんあるんだが、体系的な展示ではない。まあ出雲地域は古代の歴史がいちばん注目されているし研究も進んでいるんだろうから、しょうがないといえばしょうがないかもな。個人的には、門前町の歴史とかこの辺りの中世の様相とか、もう少し時代を下らせてくれると、この地域の学習施設としてはもっと充実するのにな、という気がした。

歴博の展示を見た後、神社の西側に回り込み、千家国造館に行く。


中世の古図では、国造館はこちらの方にだけ記載があるようだ。中の建物はそう古いものはないようだったが、そもそもここに館があるという立地がおもしろい。杵築社にとって、国造がどのような権力的地位を占めるのかが、空間構造において示されていると言える。

この西側にも、北島の方と同じようにやはり社家町が形成されている。


さらにこの先に行くと、出雲お国関連の史跡がある。残念ながら時間の関係で、掃苔は見送った。


千家国造館の前から延びる道は、江戸期の絵図では一番のメインストリート的に描かれていた参道だ。駅前でもらったパンフレットには「お宮通り」「市場通り」と記されている。現在ではどちらかというと鳥居の前から一畑電鉄駅前を通る「神門通り」の方が門前町っぽいが、建物の感じや街並みの雰囲気からすると「お宮通り」「市場通り」の方が古い門前町の佇まいを残しているようだ。


町中にはこんな辻っぽいところもある。

この写真には写っていないが、左手には銀行があったので、この辺りはかつて一番の繁華街だったんじゃないだろうか。


市場通りにはおもしろい住宅建築も目に留まった。これは藤間家住宅。門は勅使門というらしい。県の文化財に指定されているようだ。


これも整備された江戸期の住居建築っぽいんだけれど、どういう建物かはよくわからない。


さて、これらの街並みを過ぎ、さらに堀川を渡って少し行ったところに、旧大社駅がある。


大社線は1990年に廃線となり、この駅舎もその時本来の役目を終えた。だが立派な和風の駅舎建築だということで保存されることになり、今に至っている。この駅、実際訪れてみると、一畑電鉄の駅よりも神社からだいぶ離れている。直接的にはこの「遠さ」が、大社線の利用者減少につながったんだろうということを窺わせるような立地である。

ただ門前町から少し離れていたせいで、この駅は再開発の波に晒されることもなく、廃止された当時のままタイムカプセルに入れてしまったかのような雰囲気が残されている。

これは駅舎内の切符売場。


ホームに面した精算所。


改札口の上に掛かる黄色い看板から、国鉄の雰囲気が濃厚に漂ってくる。


こちらは臨時改札口。初詣の季節なんかは、ここからたくさんの人が参詣に向かっていったのだろう。


今にもディーゼル列車か客車列車が到着しそうな雰囲気の残るホーム。

線路が残されているので、駅としての雰囲気が非常によく出ている。けれども本来鉄路がつながっていたその先は、今では道路となってしまっており、再びここに列車が到着することはもうない。これ、もう少し神社に近かったら、まだまだ駅として機能できてただろうな。ただその時には、一畑の方が危なかったかもしれないが。

3時間で回れるのはこれがいっぱいいっぱい。急いで一畑の駅に戻り、自転車を返却して、一畑電車で松江に向かう。