師走を駆け抜ける

水曜の報告が終わった後、木・金は大量の答案の添削と、大学の方の授業準備。またペンだこが大きくなった。金曜は、授業の後普段なら出ているゼミにも出ずに帰宅し添削の続きをやった。それでもとうてい終わらなかったので、一部の答案の締め切りを日曜にしてもらい、何とか睡眠時間を確保する。土曜はある程度頭をクリアにしておきたかったのだ。土曜は午前10時から12時まで千駄ヶ谷での作業。2時間じゃあんまり戦力にはならないんだけどな。12時ちょい過ぎにオフィスを出て、駅前でタクシーを拾い早稲田に向かう。

13時からは、中世後期の宗教と地域社会をテーマとしたシンポジウムの司会。いろんな研究会と重なっていたので、正直どのくらい人が来てくれるのか心配だったんだが、思ったよりも人が入ってよかった。僕にとってはそれなりの学会での司会は初めての経験で、ことばを選ぼうとしてちょっと詰まっちゃったりなかなかうまく捌けなかったところもあったなあ。まあさほど大きなトラブルはなかったので、とにかくそれだけはよかった。その後懇親会があり、1次会で解散だったので帰宅し、再び添削を進める。

日曜は早朝から起きて添削を進め、完了させる。これでそのまま提出しに行っちゃえばよかったのだが、どうせ業務があるからと答案を持ったまま相方さんのお父さんの三回忌の法事に出る。場所は浦和。お寺の境内に、応永11年銘の板碑をはじめ中世後期と思われる緑泥片岩の数基の板碑があった。家にある『埼玉県史』史料編には載っていなかったんだけれど、通史編には載っているのだろうか。平凡社の地名辞典にも寺名くらいしか載っていなかったんだが、ちゃんと把握されているのだろうか。

その後本来ならお墓の方に行くべきところ、仕事があったので失礼して、再び千駄ヶ谷に向かう。ところが、着いてみたらなんと作業は昨日のうちに終了していたらしい。なんだ、連絡してくれればいいのに。でもまあ事務局も仕事が多くててんてこ舞いっぽかったから、しょうがないか。時間が急に空いたので、再び埼玉方面に戻って、一人でお墓参りをすることにした。

実は今までお墓に一人で行ったことが無かったので、大宮のエキナカの本屋でだいたいの位置を確認したのだが、いざ駅前のバス停に行くと、どのバスに乗ればよいのかさっぱりわからない。結局改札前の案内所で、霊園の近くにある病院の名で尋ねてみるも、なんとその病院そのものを係員の人が知らない。どうやら、その案内所は旧大宮市で、お墓の場所は旧浦和市域に該当するので、案内所の人にとってその病院付近はあまり土地勘がなかったようだ。合併も善し悪しだな。10分くらい調べたあげく、ようやく該当のバス停を案内されたのだが、そこではあと30分もバスが来ないことが判明したので、さっくりと諦めタクシーを拾った。運転手さんはお墓のある霊園の名前を知ってて「ああそこね」みたいな感じで車を走らせはじめた。なんだ、最初からタクシーに乗っときゃよかった。

けっこうお金がかかるかと覚悟はしていたんだが、2000円までかからなかった。なんとか日が翳る前に霊園に到着した。ここは風の強いところで、お線香になかなか火がつかない。持ってったのが安物の100円ライターだったので、着火するまで10分はかかったんじゃないかと思う。一人でお参りを済ませたのち、霊園の人に教えてもらった近くのバス停まで10分ほど歩いた。江戸時代に田圃として開発された地域らしいのだが、やはり首都圏のせいかそれなりに住宅地化が進んでいて、見渡す限りの田圃という光景ではもはや無くなっていた。「虫食い」ということばがぴったりくるような、そんな宅地化だ。この地を田圃にすべく用水を切り開いた人々は、きっと現代のこの光景を想像すらしなかっただろう。そこからバスに乗り、京浜東北線の駅までたどり着き、相方さんと合流して帰宅した。

そんなこんなで、いつの間にかヤマを越していた。その後、もう一つ締め切りだった添削仕事も何とかこなし、23日と今日(25日)は横浜でお仕事。先週のようにてんてこ舞いな忙しさは年内はもう無いだろうな。ようやく落ちついて自分の研究を進めていけそうだ。