海外での中世神道研究の現状を学会で聞いてきた。

昨日の午後は、専門とはちょっと異なる学会に出た。気になる発表題目がその学会大会の看板にあったので、それを聞きに行った。報告自体は30分にも満たないものだったが、内容はなかなか興味深いものだった。

報告者は、近年積極的に神道論を進めている門屋温氏で、その中身を大雑把にまとめると、海外における中世神道研究の現状を、ニューヨークで昨年開催されたシンポジウムの内容を通じて紹介、その意義と問題点とを指摘した内容だった。海外での研究が、旧来の神道認識を脱して新たな日本文化研究、日本思想史研究としての地位を確立しつつあり、そうした研究状況の転換を象徴するシンポジウムであったという点は、僕などはちっとも知らなかった話であり非常に興味深かった。

日本国内では、神道研究と言えば神職養成と深い関わりのある國學院などが中心であり、COEなども取ってここ数年は積極的に活動していた。僕もいくつかのシンポや研究会には参加し、興味深い議論などを聞くこともできた。ただ、そうした活動を通じてどのような神道研究が目指されているのかという点については、僕には残念ながらよくわからなかった。

神道研究といえば、戦後しばらくの神道研究の多くは、僕のような歴史学的な立場から言わせてもらえば宗教者の話であって、正直学問的研究としての体裁すら怪しいものも少なからず存在していた。もちろんそうした研究の中に見るべきものが全くないというわけではないのだが、大きな理論的枠組みとしては、「神道研究=神道の奥義を究める」的な傾向が強かったように思う。それはそういった言説を発信する側も、逆にそうした言説を批判する側も同様の認識であったように思う。

その後さまざまな研究が出てきて、少なくとも方法論のレベルで「これは研究じゃなくて布教か信仰告白じゃないの」なんて思えてしまうような研究は、少なくとも前近代の神道研究においては影を潜めた*1

ただ、学問として神道研究の新しいパラダイムが登場しているのかというと、それはきわめて微妙だ。文学や思想史の分野では中世日本紀研究をはじめとして神道をめぐる新たな研究が現れてきているが、少なくとも神道学のように神道をプロパーに扱っている研究において、僕はそうした動向を知らない。

今回、報告者や質疑の方が指摘したのは、もう少し研究の広がりが必要だということ、特に歴史学の側からの研究が必要だということだった。これには僕も深く納得できた。しかし、つまりは歴史学がもっと神社のことを研究しろってことだ。最近、近世史では国学研究や神社研究、なかでも神官の補任をめぐる吉田家を初めとした本所の動向などが明らかにされてきているが、中世においてそうした研究蓄積は極めて乏しい。黒田俊雄氏の権門体制論・顕密体制論は、歴史学の側からの中世神道のとらえ方について一つの方向性を提示したが、それはその後の批判もあるように、固有の問題設定として神社や神祇信仰を研究する視座を、むしろ弱めることになった。

現状は、そこからどうやって研究を展開させていくのかというところにあると思う。僕自身にとっても今回の報告は、どういう形で研究を進めていくべきなのか、そういうことを考えていくための、いい刺激になった。やっぱりいろんな研究会や学会に出て、いろんな話を聞いてみるもんだなあ。

*1:一般書では未だにそうした文章で溢れかえっているが