別れの光景。

対馬からの帰路にて。

僕らが車を降りると、島の空港は僕がいままで見たこともないような混雑ぶりだった。中学生だろうか、あるいは幼く見えるが高校生なのだろうか。そのくらいの年頃の子どもたちに交じって、その親らしき年齢の大人もいる。

最初僕は、修学旅行に行く子どもたちじゃないかと思ったが、ジャージを着ている子が多い。中学のスポーツの大会でもあるのか、とその次に考えた。しかしよくよく見ると、小学生らしき幼い子どもたちもいる。どうやら学校行事ではないのかもしれない。そして子どもたちは自分が旅立つべき荷物を持ってはいなかった。

その代わりに彼ら、彼女らが持っていたのは、「○○先生 お元気で」、あるいは「△△ がんばれ」のような激励の言葉が書かれた模造紙のボード。そして寄せ書きの色紙。子どもたちは、見送りに来ていたのだ。これから島を離れていく自分たちの同級生、あるいは先生を。

よくよくその人だかりを見てみると、ただ笑っているように見えていた女の子たちは、目を赤く腫らしていた。ちょっとヤンキーっぽいジャージを着た男の子は、学生服の上までボタンを閉めた真面目そうな男の子の肩をつかんで、ぶっきらぼうながら精一杯、最後の別れの言葉を掛けていた。

ほんの小さなロビーにできた二つほどの人の輪では、あとに残る人たちが送別の辞と色紙を去りゆく人に送る、ささやかなセレモニーが行われた。校歌が、出発ロビーの中にこだまする。そうして時間ぎりぎりまで、しばし名残を惜しんだあと、島を離任する先生や、本土に就職か進学だろうか、島を去りゆく男の子は、手荷物検査場へと進む。ここからはもう一人だ。僕の後ろに並んだ中学生の男の子は、後ろから聞こえてくる声に背を向けながら、鼻をすすっていた。

彼は手荷物検査を終えるとすぐに、透明なアクリル板で仕切られた搭乗ロビーで再び別れを惜しむ。けれどももう、搭乗の時間だ。何度も手を振りながら、彼は搭乗口へと向かう。彼の姿が見えなくなると、アクリル板の向こうにいた友人たちは一斉にいなくなった。あっさり帰ったのか、そう思ったがそうではなかった。

小さな飛行機に地上から乗り込む彼の姿を、見送りの友人たちは雨の中、外で見送っていたのだった。それに大きく手を振って応える彼。しかし別れの時は近づいていた。彼は見送りの人々に背を向け、飛行機に乗り込んでいった。もう彼の姿を視認することは難しい。

まもなく、飛行機のハッチが閉じられ、プロペラが大きく回転を始めた。出発だ。搭乗ロビーにいる僕らにも、見送りの人々の声が聞こえてくる。飛行機は誘導路の端まで移動し、そして滑走路に入ったと思ったら、一気に離陸する。本当に、彼は対馬とお別れなのだろう。

     *

そういえば、僕もまた、こうして対馬を離れた者の一人だった。ごく幼い頃の記憶ではあるが、何十本もの色テープに見送られながら、船で、この島の港をあとにした。島を出る時、ずっと泣いていた記憶がある。島を出るということは、この地に暮らす人々にとって、今の僕が思っている以上に切実な体験なのかもしれない。いろいろと考えるところはあるけれど、今はただ、彼の新たな生活に幸あれと祈るだけだ。