「手を抜く」べき仕事。

研究する仕事というのは、基本的には手を抜かない。調査に関しても考察に関しても万全を期す。だから形になるまでに時間もかかるし手間もかかる。研究については、きっとこれでいいんだろう、僕は今でもそう思っている。

けれども、そうした万全さよりもむしろ形の方が求められる仕事もある。いま携わっている仕事なんて、正直そんな感じだ。そういう仕事にも、僕は万全さを期す態勢で臨んできたような気がする。じっくり、ゆっくり、確実に。しかし、そういう仕事のスタイルは、成果に対してリソースを多大に消費する。それでは形や速さを求められる仕事はやっていけない。そういうことを、近頃改めて実感している。

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僕は仕事の掛け持ち状態だ。それぞれの仕事にはそれぞれの論理がある。その論理に合わせて頭を切りかえるのが、実は案外エネルギーを消費する。自分の専門の研究のことだけ考えていればいいわけじゃない。

専任でやってる人、あるいはもっと一般化して正社員サラリーマンなら、いろいろ業務はあるにせよ、結局お金を払ってくれる出所は同じだ。だからそこに収斂するような仕事をすればいい。けれども僕らの場合、そもそもお金の出所が全く違い、その出所ごとに異なる論理で動いている。その論理はわがままで、僕らの都合なんてまるで考えていない。

そのなかで仕事を選んで、こなして、スケジュールを調整して行かなくてはならないのは自分自身だ。自分自身に仕事の明確なビジョンがなくては、出所の異なるお金の論理に振り回されるだけだし、実際のところ、それに振り回されている。

自分自身をそういう論理から守っていくためには、仕事に費やす消費リソースをもっと少なくして、本当に重要な仕事に集中することが必要なのだろう。手を抜く、という言い方はやや語弊があるかもしれないけれど、少なくともじっくり、ゆっくり、確実にというような仕事のやり方は、見直さないといけないんだろうなあ。