旧刑務所跡地の開発における赤レンガ建築の重要性

こないだ5月に帰省した時もそうだったが、率直に言って僕が高校の頃過ごした時よりも、諌早の街は明らかに衰えている観は否めない。そして衰退を感じさせるのは、道路だけが立派になって人がちっとも歩いていない市街地中心部を車で通る時だ。その代わり、昔は大して店もなかった僕の実家のまわりが、大きな国道沿いという立地のせいか、今ではロードサイドストアが全面展開して活況を呈している。

そこまで市街地が拡散してしまったなかで、中心市街地の再開発は非常に困難だろうと思う。地価だけは高いが地域としては空洞化。そういう街を、さらにモータリゼーションに適合させるような整備をしてしまっては、さらに空洞化が進む一方だ。また今後高齢化が進展するなかで、交通の「足」として自動車依存を進めてしまっては、運転が困難になった高齢者の「足」が奪われ、福祉のコストはかえって高くつく可能性もある。

そういうなかでの旧長崎刑務所をめぐる問題だ。ここで建物が一部でも残されることになるのなら、それは非常に大きな意味を持つと思う。以前にも書いたが、ただ碁盤目状に街路と住居区・商業区を整備したところで、空洞化に歯止めを掛けることはできないだろう。しかし旧管理棟のような、再開発地の核になる、しかもその地の歴史に裏打ちされた核となる建築があるということで、その核を中心としたコンパクトシティ的な再開発のデザインが、何もないよりはるかに描きやすくなってくると思う。

再開発地におけるある程度の規模の商業施設開発はおそらくやむをえないし、地域の発展のためにも必要だと思うが、その周辺に中低層住居群を建設し、旧管理棟をこの地域の核として、新たな市街地を構想する必要があると思う。旧管理棟そのものは、他の地域からも客を集めることができる観光資源として機能しうると思うが、もっと重要なのは、この地域に住みたいと思うインセンティブをもたらしうる文化資源として、旧管理棟は非常に価値ある建築だということだ。

そもそもこの地域は中学校が至近距離にあり、閑静な住宅街だった。しかしそれは商業施設の集客力に寄与しない。またまっさらな大規模商業施設にしてしまっては、周辺の住宅街との軋轢を起こすし、個性のない凡庸な商業施設となるだけだ。それでは郊外大型店との差別化は図れない。ある程度の集客を見込め、また人々が住む街としての魅力をも高める。文化遺産としての赤レンガ建築群は、そのための重要な資源となるだろう。

またこの地域には、せっかく島原鉄道という貴重な公共交通があるのだから、これももう少し活用できるといいんじゃないかなあと、個人的には考える。長崎のベッドタウンとしてきちんと位置づけるならば、諫早駅とこの赤レンガ再開発地域とのアクセスを鉄道で確保することが望ましい。LRTなどの軌道を、本諫早駅からわずか数百メートル敷設するだけで、アクセスの確保は完了である。そして旧市街地と再開発地、そして諫早駅との間をそれなりの時間間隔で走らせることができれば、中心市街地の空洞化はかなりの程度食い止めることができるように思う。さらに南の方の国道から再開発地域の南端まで自動車のアクセスを確保すれば、再開発地内部に車を乗り入れさせないコンパクトシティ的な開発ができる。

これから数十年先のことを考えると、高齢者と核家族とが共存できる地域を作っていくことが必要だと思う。そういった再開発の核として、旧長崎刑務所の建築が位置づけられるのであれば、赤レンガの建築にも新たな命が吹き込まれることと思う。