ホームレスの「笑顔」―NHKスペシャル「ワーキングプア3」を見て―

僕はちょうど始まる頃夕食のお皿を洗ってて途中から視聴のため(ビデオに録ってはあるけれど)、全部は見てないんだけれど、今回もいろいろと考えさせられる内容だった。

社会問題としてどういう論点があったのかって話は、すでにいろんな方が述べているんだが、今回特に印象に残ったのは、最後に出てきた、まだ若いホームレスの男性。前回のシリーズではコンビニのゴミ箱に捨ててある雑誌を拾って1日わずか数百円で生計を立てていたのが、現在では清掃作業で以前よりはまとまった額のお金を手にすることができ、ちゃんと食堂で食事をし、銭湯で入浴することができるようになっていた。それだけでなく、みずからホームレスへの炊き出しの手伝いをするなど、社会的活動をも行うようになっていた。

その彼が、番組スタッフによるインタビューの途中で急に言葉に詰まり、涙した場面があった。「それまでの自分なら泣かなかった。人を信じられるようになったから…」*1と彼は言った。僕はそのシーンに、厚く覆われた彼の心の裂け目を見たような気がした。

前のシリーズの時、彼は「無理な期待はしないようになった。」と言っていた。そういう彼の表情は、いちおう「笑顔」だった。笑顔ではあるけれど、乾ききって壊死した厚い皮膚に覆われたような、そんな表情だった。

僕はそんな彼の「笑顔」を、以前にも見たことがあるのを思い出した。かつて高田馬場にいたホームレスたち。太陽と酒に焼けて浅黒くなった彼らも、同じような「笑顔」をしていた。彼らはたぶんもう60近い年齢じゃなかったのかと思う。「笑顔」という、一見僕らと相通じるような表情を浮かべていながらも、その「笑顔」はホームレスの人特有の、諦めとやけっぱちと冷めた感情に厚く覆われていた。

当時駅員としてバイトをしていた僕は、ああいう表情は“ホームレスの人の表情”だと思っていた。前回のシリーズで、まだ30代の彼が、高田馬場で見た60代のホームレスと同じような表情をしていたことに僕は驚いたが、それは「ホームレスの表情」なんだと、僕なりにある種納得していた。

けれども、そんな「ホームレスの表情」が実は仮面であることを、彼の涙は僕に気づかせた。彼の涙のシーンは、その仮面の裂け目から彼の素顔がのぞいた瞬間だった、と思う。「貧困が人間らしさを奪う」ということは、すでに情報としては知っていた。けれどもあのシーンは、情報として知っているつもりだった僕が、実は何にもわかっちゃいなかったことに気づかされた瞬間だった。

「ホームレスの表情」なんてものはなくて、貧困がああいう「笑顔」を作ってしまうのだ。その怖さは、ちゃんと社会で問題にしていかなくてはならない。決して“自己責任”や“本人の心構え”や“精神力”に帰してはならない、と思うし、ついそう考えてしまうことこそが、社会問題としての貧困の解決を阻む、実は大きな障害なのかもしれない。

*1:記憶で書いてるので正確ではないですが