安倍前首相の政策を断固支持する。

教科書検定ネタは旬が過ぎちゃったけど、なんか書くつもり。ただ今日は別のニュース。

http://mainichi.jp/select/biz/news/20071013k0000m020100000c.html

財政審:教員の定数増を求める文科省に批判的意見が相次ぐ

08年度予算編成の基本的考え方を話し合う財政制度等審議会財務相の諮問機関)が12日開かれ、「公立小中学校の教職員の定数と給与の大幅増」を盛り込んだ文部科学省の概算要求に批判的な意見が相次いだ。教員の数と給与の改善は、教育再生を最重要課題に掲げた安倍政権の目玉予算となるはずだったが、政権が代わり、教職員の増員が本当に必要なのかと疑問視する声が広がっている。年末の予算編成の焦点になりそうだ。

(中略)

これに対して「児童・生徒数の減少に伴い、教職員数は実質的に増加している」というのが財務省の立場で、この日の会議でも「(文科省の主張は)荒唐無稽(こうとうむけい)」「財政規律が緩む」との意見が委員から相次いだ。

(中略)

会長の西室泰三東京証券取引所会長は会見で「何でこんなものが出てきたのかあっけにとられた。政府の教育再生会議などで注目をひいたのを利用して悪のりしている」と述べた。

日本の公教育の荒廃ぶりは、別に安倍ちゃんじゃなくとも問題意識としてみんな感じていると思っていた。左右の方向性の違いは大きいにせよ、なんとかしなくちゃいけないと。

ところが少なくとも財務省は、現状の公教育についてなんら問題を感じていないという薄ら寒い現実が浮き彫りになった。以前にも奨学金関連でなんかニュースがあったけれど、財務省(とその取り巻き)ってのは教育行政に関する知見はほんとにどうしようもないな。

例えば新任の女性教諭が自殺したというニュース、

http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200710080324.html
asahi.com:夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩

こういうのを見ると、とにかく人が足りていないという現場の現実を痛感させられる。教育の質って、なんだかんだ言ったって結局は人に尽きると思うのだが、貴重な人材を摩耗させ追いつめ、相当な無理をしてようやく成り立っているような日本の公教育の現状を、この事件は象徴しているように思う。

たくさんの子どもを席に座らせて一方的に効率よく知識を注入するという高度成長期的な教育モデルは、その教育を経た後に予定されていた終身雇用制度が崩れ、教育の先にあるビジョンが見出せなくなり、モデルとして明らかに破綻している。その破綻をなんとかしなければ、機会の平等を保障する公的機能としての公教育は麻痺し、社会における貧困層の増大、ひいては社会全体の不安定化をもたらしかねない。当然、教育においてはこれまで以上に人的資源を必要とするはずで、それがこの若い教師が直面したような実態となって現れているのだろう。

しかし財務省の官僚は、現場の教師が置かれているこうした実態を知らないのだろうか。あるいは知っていて、そんなのどうでもいいと思っているのだろうか。少子化だから教師も減らせというのは、数字しか見ずに物を言ってるのだろう。だがそこに国家百年の計を見定めようとする意志がまるで感じられないのは何なのか。僕には、財務省による学歴主義的な文科省差別が見え隠れしているような気がしてならないのだが、そこまで考えるのは深読みのしすぎだろうか。

    *

僕の実感からいうと、十数人の受け持ちであれば論文添削など思考力を養う指導が可能だが、25人を越えるとそうした指導は難しくなる。40人を越えると、授業のなかで思考力や発想力を養成することはほぼ不可能となり、一方的に知識などを注入するしか手が無くなる。高校なら、せめて一クラス30人定員にすれば、教師の目が届かないことで起こっている様々な問題の大部分は消滅するんじゃないか。小・中学校なら、移り気な生徒を集中させるには一クラスせいぜい25人くらいまでだと思う。

そもそも日本の学校は教員一人あたりの受け持ち生徒数が国際的に見てはなはだ多いらしく、そうした実態を見ないままの教師削減要求は、ただでさえ低い日本の教育レベルをさらに下げることになってしまう。というわけで、僕は教員定数増という点のみに関しては断固安倍支持派である。