ビルマ情勢に対応できていない福田政権。

ビルマミャンマー)で日本人のジャーナリストが軍に殺害された。とくに欧米諸国はビルマの軍事政権に対し厳しい姿勢を示している。それなのに日本政府は、自国民を殺害された当事国であるにもかかわらず緩慢な対応に終始している。

http://www.asahi.com/politics/update/0928/TKY200709280386.html

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日本政府は、長井健司さんがミャンマーの治安部隊に至近距離から故意に撃たれた可能性があることを重視し、現地に派遣する藪中三十二外務審議官を通じて真相解明に努め、「故意」が確認されれば、軍事政権に対し、責任者の処罰や謝罪、補償を求めることを検討する方針だ。反政府デモへの武力弾圧が今後も続く場合は、国際社会の動向も踏まえ、何らかの制裁措置を検討することも視野に入れている。

 福田首相は28日夜、首相官邸で記者団に「(藪中氏の派遣で)向こうの政府に真相究明を求め、善後処置をしてもらう。同時にG8の国々の要請を受け、ミャンマー政府にいろいろと話しかけをしていく。一日も早く、こういう状況は止まってほしい」と述べた。

 藪中氏は30日にも現地入りし、ミャンマー政府に対して事実関係の説明を求めるとともに、遺憾の意を伝えるものとみられる。
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政府のこうした対応の緩さ・遅さは、数年前のイラクにおける人質となった青年の殺害の一件を思い出す。あの時もそうだったが、政府は自国民保護ということについてどこまできちんとやろうとしているのか、疑問を抱かずにはいられない。今回のニュースを見ていると、現地の大使館関係者はけっこうがんばっているみたいだが、福田首相以下政府首脳の反応はきわめて鈍い。

自分とこの国民が殺されているのに、首相が「善後処置をしてもらう。」なんて程度のコメントしか出せないのは、ちょっと呆れてしまう。ここはすぐに何らかの声明を発するのが当然の対応だし、国際社会と協調して厳しい制裁を科すといったような姿勢を示すべきだ。自国民を殺されて「怒っている」という態度を示せない政府に、どんな存在意義があるというのだろう。

諸外国との対応の落差を見ていると、日本政府は果たして本気で自由と民主主義を普遍的価値として尊重しているのかすら疑わしくなってくる。だがそれ以上に、政府が自国民保護を真剣に考えているのかという根本的なところで疑念を抱いてしまう状況は、さすがにまずいのではないだろうか。