安倍首相の「官打ち」。

なんでこのタイミングで?というのが大方の、そして僕の最初に感じた率直な感想だった。政権を投げ出したと言われてもしょうがないと思う。

体調不良説・脱税疑惑説など、このタイミングでの退陣の背景をめぐってはさまざまな憶測が語られている。いずれ事実が明らかになってくるとは思う。だがそもそも彼は、総理大臣という職に就くにはまだまだ経験不足だったというのが、結局一年で内閣を投げ出さざるをえなかった一番の要因なのではないか。

彼は主義主張が先鋭的な割に、そうした主張を現実のものにするための技術や、政治運営についての技術、巧みさを感じさせることはなかった。相次ぐ強行採決は、当時は強面な姿勢のように思われたが、こうして考えてみると単に政治運営が未熟だったというだけのことなのかもしれない。そうした未熟さが彼のキャリアの乏しさから来ているのだとすると、ある意味では急激な昇進ゆえの悲劇だったとも言えるだろう。

「官打ち」という言葉がある。

かん-うち【官打】…官職の位が高すぎて負担が重くなり、かえって不幸な目にあうこと。

日本国語大辞典

時は鎌倉時代初期。京都の後鳥羽上皇は関東の源実朝を「官打」にするため官位や官職を過分なものとしたのだ、と『承久記』は記している。実朝は果たして、甥の公暁によって鶴岡八幡宮で暗殺されることになる。この見解自体は一つの見方でしかないが、小泉前首相に引き立てられてからの安倍氏の軌跡は、彼の「官打」の軌跡のようにも思えてきてならない。

そもそも小泉前首相が、大臣経験もない彼を官房長官にしたこと自体が相当な「抜擢」であった。政治的キャリアから言えば、今ぐらいにようやく大臣になっていてもおかしくはなかったはずだ。その後党幹事長という重要なポストに就いたのも、小泉前首相の影響力のもとでのことだった。そして小泉人気が続く以上、不足する政治手腕が顕在化することはなかったのだろう。

当時の小泉氏が安倍氏を官打ちにするつもりだったとは思わないが、結果的にはそうなってしまった。彼は、自身の政治家としてのキャリアにそぐわない「総理大臣」という職務を投げ出すことになってしまった。そういう意味では、小泉前首相の過分な引き立てが、結果的に安倍氏の政治生命の終焉を早めたと言えるのかもしれない。

もちろん、政治家としてのキャリアが長くったって首相になれるかどうかはわからない。父の晋太郎氏も、結局総理の座に就くことはできなかった。だが、政治家としてはまだまだ若いのにもかかわらず、こういう辞め方をした以上、安倍氏はもう「過去の人」にならざるをえないだろう。

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正直なところ、こんな短期で辞めるくらいなら、教育基本法改定のような余計なことに手を出してほしくなかった。憲法に手を着けるヒマがなかったのは喜ばしい限りだが、現実のものとなってしまった教育基本法改定は、安倍政権が忘れられても固有の論理で動き出してしまう。非常に迷惑な話だ。