研究会の人集め。

かわとさんがこういう記事を書いている。
退潮の足音: 雑記@史華堂

僕自身は研究会を立ち上げたりでかい研究会の幹事をやったりという経験はないけれど、こないだまでとある小さな勉強会の運営担当をやっていたので、ここで書かれていることは実感として理解できる。

          *

僕の場合

僕が担当してた勉強会は、僕が立ち上げたわけじゃなく引き継ぎで運営を担当することになったものだった。ある大きな研究会の中の一つの勉強会という位置づけで、報告者を立て報告*1を聞き討論する、というスタイルのもの。僕が担当になってから、とりあえず従来からのやり方で何回か会をやったんだけれど、全然人が集まらない。末期的な様相を呈していた。まあ僕に人望がなかったのかもしれない。

が、基本的には報告者が立つ勉強会だから、報告者の報告内容に左右されるところが大きく、それなら報告内容によって参加者の多寡も左右されそうなものなのだが、少なくとも僕が見る限りではあまり関係がなさそうだった。で、そういった現状について僕が問題提起し、幾度か話し合いをもった結果、その勉強会は休止することになった。

正直なところ、その勉強会は目的が今ひとつはっきりしておらず、「顧客層」をつかみづらかった。また特定の大学というような枠もなかったので、自由であるかわりに「出なくちゃいけない」というしがらみもなく、それがまた固定客を形成できない弱点を抱えていた。勉強会が成立した頃の常連がいなくなってしまった時点で、その勉強会そのものが役割を終えていたのかもしれない。

「仕事」の増加

ただそういう特殊な事情を抱えてはいたものの、やっぱり「若手」の参加が少ないなあという印象を受ける。僕が修士だった頃のことをつらつら思うに、当時大学院での「仕事」なるものはほとんど存在せず、みんな自分の意志で研究活動をやっていたように思う。僕はと言えば、今まであんなこと書いといてこんなこと言うのもなんだが、ほとんど研究会には参加してなかった。同期のやつはいろいろ出てたようだったんだが、僕は参加するきっかけがなく、情報もあまり知らなかったので、でかい学会の大会くらいしか行ってなかった。でも別に研究会活動に参加したくなかったわけではなく、たまたまそういう機会を逸してたというだけだった。

それに比べると今は、学内での仕事にしろゼミにしろ、院生のタスクがずいぶん多くなったような気がする。しかも、「仕事」の結果を求められることが要求されてきている。特にここ数年、理工系の研究体制を人文系にも持ち込もうとする動きが顕著で、そういう一連の流れのなかで、短期で「結果」を出すための仕事が激増しているような印象を受ける。

結果を出すこと自体が悪いことではないけれど、巨額の予算を確保し研究室単位でプロジェクトとしての研究を行う理工系に対し、人文系は基本的には個人作業だ。個々人としてどういうテーマ設定でどういう作業をやったかが問われる。そこに教員と学生との違いはない。したがってそうした人文科学系研究者としての能力を養成する修士課程が重要な時期であるのは言うまでもないことだが、その時期に「仕事」が過大に降りかかってくると、そうした能力をじっくり養成するヒマもなく作業をこなすことに追われる。

人文系だって時にはプロジェクト的に仕事を進めた方がいい場合もある。歴史系でも考古学なんかはまた違うだろう。けれども文献を読んでそこから議論を立てていこうっていう人文系の学問にあっては、最近文部科学省が進めている大規模なプロジェクトは「仕事」を増やすばかりで、研究者養成にはちっとも役に立ってないどころか、むしろ阻害しているように思う。

「コモンズの悲劇」

話がちょっとそれちゃったが、そういうわけで、学費を払っているにもかかわらず過大な「仕事」をこなすことだけを強いられる、特に修士の院生は、結局研究者として必要なテーマ設定能力、問題発見能力が養成されないと思う。そして研究活動に対して面白さを見出さないまま修論執筆を迎え、普通の大卒と変わらないような形で就職する、そういう院生が増えているような気がしてならない。院生自体は増えているはずなのに、研究者として育っていく院生が(少なくとも僕のまわりでは)だいぶ減っている観があるのは、こういう事情があるんではないかと思っている。

で、少数の研究者指向の院生は、「仕事」をこなすだけではどうしようもないことに気づき、研究会に出たりするのだが、そういう院生はかわとさんが書いていたように「身体がいくつあっても足りない」状況であり、大学のしがらみやなんやで身近な研究会活動を盛り上げようとすると、結局学外には出なくなっていく。

これを研究会の側からみると、少なくなった研究者指向の院生が活動してくれることを多くの研究会が求め、その結果、総体としての学界の研究会活動自体が衰退に向かうという、コモンズの悲劇のような状況が訪れているような気がしてならない。研究会が、それぞれ研究会活動を盛り上げようとするために、共倒れになってしまう。皮肉な状況だが、これは純粋に院生が減ったことによるものではなく、大学内でのさまざまな「仕事」が増加した結果、研究者指向の院生のリソースの減少、またそうした指向をもつ院生そのものの減少によるところが大きいのではないかと考えるのである。

*1:日本史系では「報告」って言うんだけれど、他分野では発表っていうことが多いな。どうしてこういう違いが生じたんだろ?