憲法記念日。

憲法施行から60年の記念すべき年に当たるはずの今年だが、特に政府がなんか行事をやったとかっていうニュースを、僕は寡聞にして知らない。この辺にこそ、現政権・与党の現憲法へのスタンスがにじみ出ているように思える。

憲法は、基本的人権の欠如などという根本的で決定的な欠点はこの際無視するとしても、統帥権問題という欠点が軍の暴走を招くという国家機構の麻痺をもたらし、それが国民に多大な惨禍をもたらしたという点で、1930年代以降は機能不全に陥ったと言えると思う。もちろん現憲法でも9条をめぐる解釈の問題などはあるが、少なくともこれまでは国家を暴走させるほどの問題を招くことなく運用され続けてきた。それだけでも、僕は大変評価に値する憲法だと思う。

憲法が時代に合わないということはよく言われるけれども、その具体的な中身に言及した上での改憲論はあまり聞かない。せいぜい9条問題程度だ。具体的に現憲法がどのように時代に合っていないというのだろう。

印象論ではあるけれど、改憲論者で戦前体制への復古を表明する人は少なくないような気がする。しかし統帥権問題から考えると、旧憲法は施行後40年ほどで綻びだしたわけで、その意味では現憲法の方が「出来がいい」のは明らかだ。それがどうして、それなりに安定した国家や社会を運営し続けていくことのできた現憲法下での60年間を否定する論理に転換するのか、理解に苦しむ。

最近、高校の近現代史の授業を組み立てていて感じたんだが、第二次大戦の敗戦からすでに62年が経過しようとしている。1945から62を引くと1883、西暦だとまだ憲法が存在しない、自由民権運動の頃だ。それから後、敗戦までの近代史と、敗戦から現代に至るまでの戦後史、この二つの時代はもう時間の長さとしては等しい歴史となっている。もはや戦後の積み重ねも、安易に無視できないほどの長さと重みを持っているわけで、しかも両者の60年後を考えた時に国家・国民・社会にとって「よい時代」なのは、戦争で数百万人が死に大半の都市が焦土と化していた60年前よりも明らかに豊かで平和な現代だ。そしてそれは、戦争の惨禍を乗り越え豊かで平和な社会を築いた先人たちの努力の賜物である。

しかし安倍首相からは、そういう認識はほとんど感じ取れない。幼少期に強烈な戦前の価値観のインパクトを受けてしまった人々は百歩譲ってしょうがないにしても、戦後生まれのくせに戦後の日本の歩みを軽視するというのはいったい何なんだろう。そういう意味で、彼からはまるで「歴史」や歴史の重みを実感として把握しているようには思えないんだよな。彼の右よりの姿勢が決定的に薄っぺらいのは、なんだかんだ言ったって彼は所詮「戦前万歳」的なイデオロギー歴史認識しか持ち合わせておらず、そのため実感として戦後史をどう考えているのかという重みに欠けているからではないかと思っている*1

あまりに特異なその生育環境が、実感よりもイデオロギッシュな復古主義に走らせたのか。いずれにせよ、そういう点からも、安倍政権は保守的というよりもイデオロギッシュであり右翼的であるように見える。

*1:実感への偏重はそれはそれでまた問題なんだけど。そういう意味で、実感に根ざした保守的思考はよくも悪くも強靱だよな