新しい街の「歴史」。

ちょっと前に雪見さんから田園都市線のことについて言及していただいたようなんだけれど、いまちょっと見ることができないので、それに関して思ったことを。(その後コメントいただきました。リンク先はこちらの4月10日です。)

今思っているのは、確かにニュータウン的なものに違和感を抱く一方、他者としてそれを無下に否定するわけにもいかないよなあということ。郊外の「チープさ」やうさんくささを全くの“他者”として批判するのは簡単なんだけれど、そうやってばっさり切ってしまうことにもやはり同じように違和感を感じている。いくらうさんくさかろうと、現実にそこには住民が日々を生き、人生を過ごしているわけで、早いところでは開発されてからすでに半世紀が経とうとしている。それなりの時間の積み重ねのある中、そこにいる人たちの暮らしや人生を「うさんくさい」などと言ってしまうわけにはいかない。

僕は、この本を

郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)

郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)

読んで、次のようなことを思い出した。



今のところに越してくる前、僕は一年だけ公団住宅に住んでた。そこは昭和30年代に建設された団地群で、しかし老朽化のため立て替えが決まっていた。

その団地の中央を東西に分かつ100メートルほどの道路の脇には、立派な桜が植わっていた。おそらくこの団地を建設する際に植樹されたのだろう。春になると、その桜が一斉に花を咲かせ、その道路はまるで桜のトンネルのようになる。

その団地では、桜の季節に一日、道を通行止めにし、お花見をするのが慣例になっていた。何らかのイベントもあったような気がする。その道では、夏には盆踊り大会も行われていた。団地の住人がけっこうたくさん参加するという点では、その団地の象徴的なイベントだったとも言えるだろう。

実は僕らが住んでいたのは、大規模な立て替えが行われる直前だった。盆踊りの最後、「30数年続いたこの盆踊り大会も、工事のため今年をもって終了いたします。」という閉会の辞が流れた。僕はその言葉に、ここに住んできた住民たちの、地域社会を作ってきたという誇りとそれが失われる寂しさとを感じた。果たして、翌年盆踊り大会は開かれることはなく、そして建て替えられたマンションには新住民が続々と越してきた。

この盆踊り大会がどうなったのか、もう僕にはわからない。もしかしたら今でも開催されているのかもしれないが、また開催されているにしても往時の勢いを取り戻しているのかどうかも、僕にはよくわからない。ここに生まれようとしていったんは中絶した、夏祭りに象徴される「歴史」は、案外もろく壊れやすいものだったが、のっぺらぼうで人間の特定の意志だけが強烈に見えてくる「団地」においても、それは確かに存在していた。

そういう意味では、「上から目線」あるいは都心からの目線*1で「郊外なんて…」という差別的な意識を喚起するだけのような議論にはならないよう、いろいろと考えなくてはいけない。そういうことに気づいていくのは、きっとこれからのことなんだろうな。

*1:まあ僕は今でも都心になんか住んでないけど