田園都市線に乗る。

今日はお仕事で田園都市線のあざみ野へ。そもそも、田園都市線なんてほとんど用がなくて乗ったことがない。別に用がなくても乗りたくなる路線はあるんだが、乗りつぶし欲から解放された今となっては、正直、田園都市線にわざわざ乗ってみようだなんて考えなかった。まあ、まったく乗ったことがないわけではないんだけれど、そういうわけで、あざみ野で降りるのはもちろん初めて。

ちょっと早めに着いたので、駅の廻りだけをほんの少しばかりまわってみた。印象的だったのは、駅前に堂々と100円ショップみたいなのがある一方で、小洒落系のパン屋や高級スーパーの成城石井もまた存在していること。それから、昼間であるにもかかわらず、バスに並ぶ人の行列が長かったこと。駅前の牛丼松屋にテーブル席があったこと。地下鉄との乗換駅で急行停車駅なのに、立ち食いそば屋がなかったこと。

まあぶっちゃけて言えばいわゆる「ニュータウン」なのだが、成城石井松屋が近くに店を構えてるような、なんだか分裂した印象を抱かせた。住民層における、理想の経済水準と現実のそれとの乖離が存在するが故にこういう街並みになるのか。あるいは両者を利用する客層は別々で、松屋を利用する人々の目に成城石井が買い物をする場所として見えてくることがなく、成城石井を使う人々は松屋がまるで存在しないかのように振る舞う、そんな乖離があるのかも知れないな、とかいうことを考えていた。

しかし、どうしてこういう人工的な街に人気があるのか、その理由がさっぱり理解できない。住んでて何か息苦しくなったり、嘘臭さに絶望するようなことってないのかな。僕個人は、最近とみにこういう街への違和感が強くなってきている。

この時に感じた感想は、やっぱり基本的には変わるところはない。地方の小さいニュータウンなら、その「外側」に出て、歴史的に形成された街や村、あるいは里山に触れることなんて簡単だけれども、東急が大規模に開発した沿線都市の「外側」に出ることは、おそらく容易なことではないだろう。あぜ道を辿っていくと集落のまん中を突っ切って小学校までずいぶん近道ができるとか、路地に入ってくとあんな店がひっそり営業してるとか、そういう発見を一切拒むような、そんな街に見えちゃうんだもんな。

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ただ僕の感じるこの違和感は、必ずしも僕が地方出身だからというわけではないように思う。以前の僕はこういう新興住宅地で暮らしてきたわけだし、その頃はむしろそういう住宅地を好ましいと思ってきた。

小学校に上がる頃、僕は県庁所在地の丘陵に開発された、会社が借り上げていたらしいやや古い住宅地の一軒家から、郊外の市のこぢんまりと造成された住宅地の一軒家に引っ越した。銀行員だった父が、自分の出身地であるその市に一軒家を購入したからだった。

こぢんまりとした住宅地の背後には、昔ながらの農村が広がっており、そういうところでも僕は遊んでいた。ただ、生まれてこの方そこに住み続けている同級生よりも、その住宅地に越してきた家の同級生たちの方に、当時の僕は親近感を抱いていた。なんだか「感覚が同じ」であるような気がしたのだった。

さらに小学3年後半から5年までは、県内第二の都市の近郊に開発されたそこそこの規模のニュータウンに住んでいた。実はそのニュータウンでの暮らしが、生活感覚としては一番当時の僕の肌に合っていたような気がする。もともと海軍の街だったせいで、クラスにも海上自衛隊で働く親をもつ同じような転勤族の子どもがたくさんいて、彼らと軍艦のプラモデルを作ったりして遊んでいた。当時の僕と一番仲が良かったのは、小さい頃は横須賀に住んでいたという同級生だった。彼は、僕が再び持ち家のある街に引っ越すのと同時期に、青森の大湊に引っ越していった。

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長々と自分語りをしちゃったが、僕自身こういうライフヒストリーを経ている人間なので、大都市の郊外か地方かという違い、あるいは人口規模の違いは当然あるとはいえ、田園都市線沿線みたいなニュータウンでの暮らしという感覚がまったくわからないというわけではない。ただ、じゃあなんで違和感を抱くのか、それが今のところうまく説明できない。東京に出てきて古い街で一人暮らしを始めたことなんかが、それなりに影響を及ぼしているんだろうか。このことは、もう少し考えてみたいなと思っている。