「冬・奥出雲・山林大地主の村」

ちょっと前にやってたNHKアーカイブスにて。1987年のNHK特集。もうNHKのサイトからは概要が消えちゃってるので、キャッシュで引用。

NHK特集「冬・奥出雲・山林大地主の村」(45分)
1987年(昭和62年)2月20日放送

島根県奥出雲に、500年にわたり栄えてきた山林大地主の家があります。代々の当主は田部長右衛門。戦国時代からの伝統が今も厳しく守り伝えられています。年末年始の田部家では行事が集中し、伝統と格式がひと際目立ちます。番組は、冬の奥出雲で、今も続く山林大地主の家とその家を守る村人たちを描きます。

いやあ、これは非常に興味深かった。田部家というのは代々製鉄を生業としてきた家で、農地改革に際しても保有していた土地が山林だったために没収を免れ、87年当時でも数千ヘクタールの山林を所有していたとのこと。あとで調べてみたら、先々代の当主は新聞社・テレビ局などを経営し、島根県知事を務めたこの地の大物だったらしい。87年当時は知事だった人物の息子の代で、ケンタッキーなどのフランチャイズを中国地域で展開していたようだ。

番組としては、NHKなわけなので先代の政治力なんてところはたいていすっ飛ばして、奥出雲の旧家としての慣習のみに焦点を当てた取材だった。でも本当は、村人を巻き込んでまでそういう慣習を伝えていくことのできる背景として、竹下登などにも大きな影響を与えたらしい先代の政治的・経済的影響力というのも番組内で押さえておく必要があるんだろうけどな。

で、番組は年末の大掃除の場面から始まる。田部家から山仕事を請け負っている村人は、休みであっても田部家の大掃除に出なければいけない。大掃除を始め年末年始の行事を取り仕切る執事の人は、数代田部家に使えている家の人だということだ。

田部家が所有する土地の集落では、年に一度田部家に借地代を払う。田部家の使用人が一軒一軒集金に回るらしいのだが、賃料は87年当時とはいえわずか年に1500円。経営というよりも、経済的な服属関係を確認する儀礼のような印象を受けた。

ふだんは松江にいる当主一家も行事の際には吉田村の旧家に帰ってくる。当主はみずから黒豆を並べて「寿」「福」の字をあしらった飾り物をお備えする。村の女性たちは田部家の正月料理を用意する。元旦になると使用人から挨拶を受ける。それにも格式があって、格上のクラスの人は座敷で挨拶をすることができるのだが、格下の人は土間で挨拶をし、餅などをもらって帰宅する。執事クラスの人は、その後座敷で当主とともに宴会をやっていた。19棟ある田部家の蔵を見張る宿直役も、そうした人々が務めているようだ。

執事クラスの人たちは、代々田部家に使えてきた村人たちで、田部家当主と「契約子」という擬制的親子関係を結び、名前を付けてもらい、学校に通う資金などの面倒をみ、成人すると羽織だったかを下賜されるらしい。吉田村には数代前の当主が設立した中学校(もちろん公立だが)があり、講堂にはその当主の肖像画が掲げられていた。

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僕が興味深かったのは、田部家が、武家や公家のような国家制度たる身分制に基づいた支配ではなく、地主制などの経済力を背景に村落内部で実質的に身分制を形成し支配している、その姿が残っていたということ。村人がなぜ田部家に仕え続けるのか。そこら辺の、執事の人たちや大掃除やってた村人の感覚というか雰囲気というか、そういうところは、都市に生活しているとなかなかイメージしにくいんだけれど、このドキュメントではその片鱗くらいは窺うことができたかもしれない。こういうイメージって、特に中世の家や村内部のようなミクロな支配を分析していく時には、類推としてけっこう有効だろう。

それにしても、元旦の挨拶の場所が違うみたいな、家内部における階層関係の序列の可視化なんてこと、戦後も続いてるなんてちょっとびっくりだったな。しかも村人の側がそういう伝統を疑いもせずずっと守ってきたってことも。正直、あの村人たちのように、「自分ちは代々何々家にお仕えする家柄だから」なんていうメンタリティ、まるっきり理解できない。ただ、旧華族関係の人が書いた文章の中には、そういうメンタリティを感じさせられることがままあるんだよな。

いろいろと面白い番組だったんで、録画を見直せばまだまだ書くことありそうなんだけど、とりあえず今日はこの辺で。