市立図書館をめぐる個人的な経験。

トラックバックを下さった「図書館の費用対効果について。図書館が「費用対効果が高い公的機関」であるという点には同意。ただ僕が興味深かったのは、dankogaiさんの図書館に入り浸ってる経験。

実は僕もそういう経験がある。小学生の時には「校区外に出てはいけない」*1という決まりがあったので市の図書館には行けなかったが、中学生になってからはあまりそういう縛りもなくなったし、自転車を使えば家から15分くらいで行けたので、部活のない時や授業と部活とのあいだによく本を借りに行ってた。

人口10万もないような小さな市だったので、市立図書館といっても蔵書数はたいしたことなかった。だから僕は片っ端から書架を眺めていって、面白そうなタイトルの本があれば取り出して眺め、読む、さらに読みたければ借りる、ということをよくやってた。僕の読書体験の本格的な基礎はあそこにあると言っても過言ではないと思う。

ただ、今思えば小さな図書館だったので、週に2、3度行って片っ端から書架を眺めてっても、2ヶ月もすると背表紙は全部見終わっちゃう。当時から僕は、広く浅くよりも狭く深く知りたいと思う方だったので、その要求をあの図書館はあまり満たしてはくれなかった。それでも図書館の存在は、知の世界と触れることのできる貴重な機会だったことは間違いない。

高校でもそうだったけれど、学校図書館はずいぶん貧弱で、古い本しかなく、ここ10年は新しい本が入ってるの?という印象しかなかったので、僕は公立図書館を頻繁に使っていた。あと、自分の興味関心を追究するのに、学校教育的な配慮の入るのが気にくわなかったのかもしれないな。

高校に入ってからは、市立図書館が高校の隣の市役所の隣という絶好のロケーションとなったにもかかわらず、部活と受験勉強が忙しくなってなかなか図書館に行く機会が作れなくなった。それでも時々は図書館の書架で片っ端から本の背表紙を眺め、気になったタイトルの本を手に取るのが、僕にとっては貴重な時間だった。さらに、3年生になり部活を引退してからは、よく図書館で受験勉強するようになり、息抜きと称して日本史の本などを読みふけっていた。

当時の僕には、受験科目としてではなく人文科学ないし社会科学としての日本史という分野を手ほどきしてくれる人がいなかったせいで*2、現在の僕の目から見た時に目に入ってくるような歴史学の本のどれを読んでいけばいいのかが僕にはさっぱりわからなかったというのは回り道だったのかもしれない*3。けれども、そういう機会があったというだけでも、当時の僕には貴重だった。

東京に出てきて、初めて行ったところは都立の日比谷図書館だったが、地元の図書館に比べその本の多さには驚いた記憶がある。さらに大学2年の頃、大学の新図書館が完成し、初めて書庫に入った時に、150万冊だったか200万冊だったかの本の量に圧倒された。さすがにそうなると片っ端から書架を眺めていくなんてことはできなくなった。ただ、情報量の差という意味では、地方と都市とでは本当に圧倒的な差があるということを思い知らされた。

だらだらと個人的な記憶を書き連ねたけれど、結局当時の僕にとって、広い意味での文化と触れる機会というのは図書館しかなかった。それでも、のちに実感するように、東京と地方との間には、本を含めた情報に関する圧倒的な格差がある。もちろん都市にはそうした文化資本蓄積という役割を持っているから、地方と都市とがまるっきり同じ条件になるなんてことはありえないが、せめてそうした文化の蓄積へのインデックスの役割を、公共図書館には果たしてほしいと僕は思っている。

*1:ブクマコメントを見て、念のため追筆しておくけど、「保護者の同伴なしに」です。

*2:というか、そもそも身の回りに大学生という存在が誰一人いなくて、大学での学問や大学生活が実際どんなものなのか、まるでわからなかったんだが。

*3:そういう意味では、高校の頃に刊行開始され実家で購読し始めた『週刊朝日百科日本の歴史』は、学問としての歴史学に触れる機会として貴重だったな。