履修漏れ問題その後。

toyaさんからトラックバックをいただく。僕のいた高校でも、どうも以前にはもう少し緩い雰囲気があったようだった。それがこないだ書いたようになっちゃったのは、同じ学力レベルの高校を地域にもう一校作って、両校で競争させるシステムにしたからじゃないのかなあと思っている。

僕の住んでた県では、戦後GHQの指導により旧制中学・旧制女学校が解体され、シャッフルされた上で新制高校が編成された。そういう経緯もあって、もともと県で一番のエリート校といった学校が存在しなかった。だから、他の県に比べて大学進学希望者が各地の高校に分散する傾向が強く、その傾向も各地の高校間の競争を激しくさせる効果を持っていたと思う。

僕の出身校は、ながらく地域に一つしかない進学校で、しかも一校当たりの校区の人口が比較的多かったので、県下で一番の進学実績を誇っていた。まあ県内一といっても人口割合に対する進学校の設置校数によるわけだから、別に伝統的エリート校だなんてことはまったくなかったが。だから、上で書いたように県立の進学校が地域にもう一つ新設されることになると、当然のことながら進学実績の低下が予想された。そこで高校では補習やクラス編成など進学対策をさらに充実させることになった。そこに入学してきたのが僕の世代だったというわけだった。

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社会科の問題としてはいろいろ考えるところもあるけれど、この問題の本質は、世界史を必修にすべきかどうかといったことにあるのではなく、結局前にも書いたしkousさんも書いているとおり、都市と地方といった格差の問題として考えるべきなんだろうと思う。高校教育が受験対策化しているといくら批判したって、その問題の根源は大学受験にあるのだから、高校教育だけを切り取って論じたってあまり意味はない。

都市部の人にはあまり想像できないかもしれないけれど、僕の住んでたような地域には、受験に関する情報なんてごく限られている。そもそも僕のまわりには大学もなければ「大学生」も存在しなかった。僕の両親は高卒ですぐに銀行に就職したので、親も大学のことなんてわからない。もちろん予備校もない。地域に「大学」に関する人や物、情報が何一つないのだった。今と違ってネットもないので、予備校の営業さんが配る進学情報誌なんてのくらいしか情報がなかった。当時は市の図書館も貧弱で、たいした本もなかった。

僕の大学に関する知識と言ったらほんとに貧弱で、そもそも歴史を学ぶには文学部に行くしかないと思っていて、教育学部で歴史の勉強ができることを大学に入るまで知らなかった。

受験勉強も、何をやればいいのかなんてまるっきりわからず、ただ高校から与えられる課題をやり続けるしかなかった。同級生で医者の娘が「Z会」をやってるんだと聞いたけれど、大学受験が終わるまでそれに触れる機会すらなかった。そんな体たらくの僕でも大学に入学することができたのは、ひとえに公立高校での教育のお陰だ。

いくらその中身に今の僕が批判的であるとはいえ、地方の公立高校には大学進学をサポートする役割があると思うし、機会の平等を保障する重要な仕組みであるとも思う。大都市圏では履修漏れは少ないようだけれど、高校教育がそれで成り立つのは受験対策を担当する予備校があるからこその話であって、実態と理念との矛盾が、大都市では高校と予備校という二つの教育機関が存在することに現れているのに対して、地方では高校に集中しているということに過ぎないと思う。きちんと履修している生徒との間の「不平等」を言うのなら、そもそも高校で受験対策をしなければいけない「不平等」、予備校に通わせる経済力の問題といった「不平等」をきちんと踏まえるべきだと思う。