国旗国歌の裁判の判決。

いろんなところで触れられてるからいちいち引用の必要もないとは思うけど、いちおう記事はこちらなど。

この裁判、細かい論点までは把握していないけれど、まあ妥当な判決だろうと思う。地方自治体の公立学校行事で、国歌を「歌え」とか国旗掲揚時に「起立せよ」なんていうのがどうして職務命令として必要なのか、そもそもまったく理解できない。しかもその通達に随わなかったら懲戒だなんて、どうかしているとしか思えない。

行政に携わっている政治家としてのセンスを疑ったのは、現職の法務大臣。この記事読んで、法相としての資質を疑った。石原都知事が言うのは、まだわかる。彼は訴えられた被告側の立場にいるから。けれども法相は、こんなこと言っちゃいかんでしょ。「一議員として」なんて留保を付ければいいってもんじゃない。

それにしても、最近の公立学校の教育現場のニュースは、ちょっと異常と思えることが多い。埼玉の戸田市では、来賓や保護者で国旗掲揚時に着席したままだった人を「調査」したらしい。学校教職員に対する職務命令云々というのならまだ理解はできるが、なんで教育長如きが保護者を通達に随わせようとするのか。そんな調査、教育長のどんな権限でやろうと考えているのか。もうここまでくるとさっぱり理解できない。「秩序を守れ」と主張するのであれば、憲法擁護義務をないがしろにするこんな教育長こそ、「秩序を乱す張本人」として非難されそうなものだが。



こういうニュース見てて思うこと。一つは、どうも昨今、政治家や行政官僚で、自分が権力を行使する立場にあるっていう重責を意識していない人間が多いんじゃないかということ。国旗・国歌を擁護すべきだと個人の考え・主張として持つのはかまわない。けれども、いやしくも権力を行使する立場に立っているのであれば、思想として自分の考え方に反対である少数者をきちんと擁護するという姿勢を取る必要がある。江戸時代や戦前の役人ではないのだから、自由は最大限尊重されなければならないはず。なのにそれができないというのなら、少なくとも民主主義社会において権力を行使する立場に立つ資質を疑われても仕方がないと思う。

もう一つ。みんながみんなそうだとは言わないけれど、国旗や国歌の強制を支持する人で、北朝鮮や中国を「人権無視のひどい国だ」なんて批判する人とが重なることが比較的多いような気がする。けれども僕から見たら、「自由への抑圧」という点では、国旗や国歌を強制して歴史は愛国心教育であるべきだなんていう主張と中国や北朝鮮の政府がやってる政治的な「反日教育」のようなこととの間に、どんな違いがあるのかよくわからない。両者は単にナショナリティという点だけで反発し合っているに過ぎず、やろうとしてることは似たり寄ったりではないか。

あと最後に。ここまで国旗・国歌が問題を持ち続けているのは、やっぱり戦後の日本がきちんと軍国主義時代の反省をせず、また反省するんだってことをちゃんとアジアへ向けてアピールするしてこなかったからだと思う。核の傘とかいろいろあるにせよ、まがりなりにも戦後60年間、日本が直接戦争に手を染めてないというのは「実績」として誇れることであるはずなのに、未だに60年前の戦争のことが問題になるのは、ひとえに徹底的な反省とそのアピールが足りなかったせいだと思う。中途半端な反省しかしてないのに逆ギレするのでは、やっぱり敗戦国として信用されない。「実績」をきちんとアピールできる方法を、日本はちゃんと考えた方がいいと思う。