ほんとに安倍政権になったらこうなるの…?

時評としてはやや旧聞に属するけれど、あまりにひどい話なので、取り上げておきたい。

安倍政権でこうなる

首相主導で「教育再生
 
 自民党総裁選で優位に立ち次期首相が確実視されている安倍晋三官房長官は「教育再生」を最重要課題に掲げている。首相直属の「教育改革推進会議」(仮称)を10月にも設置して官邸主導の教育改革を進める考えだ。安倍政権で教育はどう変わるのか−。安倍氏側近の下村博文衆院議員ら3人が参加して8月29日に開かれたシンポジウム「新政権に何を期待するか?」から拾った。

 ≪教員評価を厳格化…下村博文衆院議員
 
 安倍さんの教育改革は官邸機能を強化して行われる。文部科学省に任せていてはピントがずれているし、時代の流れに合っていない。内閣ができたらすぐに首相主導の「教育改革推進会議」を設置して、来年の3月くらいまでに結論を出す。後は文科省に投げて中教審で議論してもらうにしても、根本的なものは作っていくということを考えている。

 テーマは10くらいあるが、例えば、子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうために、奉仕活動、ボランティア活動を必修化しようという案がある。

 高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち3カ月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。

 それから、駄目な教師は辞めさせる。一方で、いい先生の待遇をよくするという体系に変える。親が学校に期待しているのは、いい先生だ。

 ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる。

 一番大切なのは心であり、徳育だ。そういったものを、推進会議で一気に処方箋(せん)を作って実行に移すことが必要だ。

 私は文科政務官をしていたが、文科省にも共産党支持とみられる役人がいる。官邸機能の強化には、省庁の局長以上の人事については官僚ではなく政治が任用することが必要だ。

 ≪カリキュラム見直す…山谷えり子内閣府政務官≫

 安倍官房長官は「今の日本の教育がいいと思っている国民は1人もいないんじゃないか」というほど激しい怒りを持っている。

 下村さんが文科政務官だったときに、文科省は過激な性教育や韓国からの教科書採択妨害文書について全国の実態調査をした。どこに問題があるか分かった。しかし文科省に任せたのでは、また緩んでくる。だから官邸に推進会議を作らなければならない。

 教員免許更新制もグラグラしている。講習さえ受ければ更新するという方向に行っているが、官邸は、駄目な先生は駄目としなければならない。

 ゆとり教育は「ゆるみ教育」になっている。中学の英語の必修単語を507から100に減らした。学力が落ちるに決まっている。

 カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する。

 ≪“徴農”でニート解決…稲田朋美衆院議員

 藤原正彦お茶の水大教授は「真のエリートが1万人いれば日本は救われる」と主張している。

 真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。

 そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。

 それから、若者に農業に就かせる「徴農」を実施すれば、ニート問題は解決する。そういった思い切った施策を盛り込むべきだ。

 教育基本法愛国心を盛り込むべきだ。愛国心が駄目なら祖国愛と書くべきだと主張したら、衆院法制局が「祖国という言葉は法律になじまない」と言ったが、法律を作るのは官僚ではなく国会議員だ。

 安倍さんにとって教育改革は最も取り組みたい課題なので、頑張りたい。

                    ◇

 ■官邸と国民運動連携 シンポは、安倍氏のブレーンとされている中西輝政京大教授、八木秀次高崎経済大教授が呼びかけ人になっている「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」(事務局長・伊藤哲夫日本政策研究センター所長)が主催した。
 同じ日に開かれた別のシンポで山谷氏は「官邸の教育改革推進会議と国民運動が連携することが望ましい」と述べた。
 産経新聞の取材に対し山谷氏は、国民運動組織として、同ネットワークや、八木氏が設立準備室代表を務める「日本教育再生機構」を挙げ「官邸と国民運動が一緒に教育再生に取り組みたい。教育現場の実態をどんどん官邸に報告してほしい」と語った。
 八木氏は「安倍氏の政策と日本教育再生機構の基本方針は一致しているので、全力で協力したい」と話している。

産経新聞』2006年9月4日http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.html

最初にこの記事をさらっと流し読みした時、ほんとにこんなことを安倍氏が言っているのかと我が目を疑った。ちゃんと読むと、「取り巻き」とされているこの人たちが言ってるだけだということがわかるんだけれど、もし彼ら彼女らが本当に安倍氏の「側近」であるならば、ずいぶん脇が甘いというかガードが緩いというか。

まず稲田氏の「徴農」など噴飯もので問題外。「徴」とかいう漢字を使っている時点でそのセンスが疑われる。

僕が一番問題だと思うのは、下村議員が教育の政治介入を公言している点だ。自分の子どもや賛同者にこういう教育をするというのなら「勝手にやれば」というところだが、公教育の内容に政治が介入すべきだなんて、教育基本法を改めないとそんなことができないことをわかって言っているのだろうか。

第10条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

◎ 本条の趣旨
・ 第1条以下で明らかにされている教育の目的、方針及び基本的諸原則を実現する「手段方法の基礎」としての「教育行政の在り方一般」を示したもの。
・ 第1項は、教育と国民の関係を規定したもので、教育が国民の信託にこたえて、国民全体に対して直接責任を負うように行われるべきであり、党派的な不当な支配の介入や、一部の勢力の利益のために行われることがあってはならないことを示したものである。
・ 第2項は、教育行政の在り方を規定したもので、教育行政は、第1項の自覚のもとに、教育の目的を達成するために必要な諸条件の整備確立を期して行われるべきものであることを明らかにしたもの。

○ 「教育は」
教育者、教育官吏及び教育内容等全てを含めて、一般に教育というものはという意味。

○ 「直接に」
制定当時、「直接にというのは、国民の意思と教育とが直結しているということである。国民の意思と教育との間にいかなる意志も介入してはならないのである。この国民の意思が教育と直結するためには、現実的な一般政治上の意志とは別に国民の教育に対する意志が表明され、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要があると思う。このような組織として現在米国において行われている教育委員会制度は、わが国においてもこれを採用する価値があると思われるのである。」と説明されている。

○ 「責任を負う」
教育が国民から信託されたものであり、教育は国民全体の意志に基づいて行われなければならないのであって、それに反する教育は排斥されなければならないということ。

○ 「必要な諸条件の整備」
昭和51年の最高裁判決において、許容される目的のため必要かつ合理的に認められる教育行政機関による教育内容及び方法に関する措置は、本条の禁止するものではないことが確認されている。

(参考)
帝国議会における第10条に関する主な答弁

【「不当な支配」とはどういうものを指すのか。】
◎昭和22.3.14 衆・教育基本法案委員会
<辻田政府委員> 第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育が国民の公正な意思に応じて行はれなければならぬことは当然でありますが、従来官僚とか一部の政党とか、その他の不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによつて教育の内容が随分ゆがめられたことのあることは、申し上げるまでもないことであります。そこでそういうふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配に教育が服してはならないのでありましてここでは教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表したのであります。

【「直接に責任を負つて行われる」とはどういう意味か。「不当な支配に服さず」というのは当然でありあえて規定する必要があるのか。】
◎昭和22.3.19 貴・本会議
<高橋国務大臣答弁> それから尚第十条「教育は、不当な支配に服することなく、」云々とありまするのは是迄におきまして、或いは超国家的な、或いは軍国主義的なものに動かされると云ふようなことがあつたものでありまするからして、この点を特に規定したものであります。

【学校教育の主体はだれか。】
◎昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
<高橋国務大臣答弁> 地方教育に関しましては、地方分権の主義に則りまして、中央集権を廃して参りたい、斯う云ふ立場にあるのでありまするからして、矢張りそれぞれの地方公共団体が教育をする、斯う云ふことに相成るものと考へて居ります。

教育基本法の規定の概要第10条 (教育行政) :文部科学省

政権というのは時の民意を反映するものであって、それはある局面では右に触れ、また別の局面では左に触れたりする。けれどもそういった流動性をもつ政権が教育内容に介入してくると、教育そのものが政治化することとなり、非常にまずい。別に個々の教員が全て左寄りだってわけではないし、個々の教員自体の影響力なんて、生徒の教育過程全体から見れば大したことなど無いだろう。けれども政府が介入するということは、個々の教員の影響力とは比べものにならないほど大きな影響を教育現場に与える。

そもそもある政党が政権を取っていること自体、議会における多数派ということに過ぎないのであって、だから少数意見を無視していいというわけではない。それが、多数派が教育内容に介入するなんてことになったら、それこそ教育方針が総選挙ごとに変わっていくなんてことになりかねない。

これは教育内容の問題以前に、教育と政治との関係をどう考えているかという意味での、政治家としてのセンスのなさが露出してしまっているように思う。