「旧宮家復活」論の問題。

伏見宮系について、tosiitoさんのコメントを受け、昨日の書き方だと不足だと思い、ちょっと補足したい。

もともと伏見宮系が分立したのは14世紀後半のこと。北朝天皇上皇・皇太子らが、後醍醐の子後村上天皇率いる南朝勢力に拉致され、困った幕府がなんとか皇位に就かせたのが後光厳天皇伏見宮系というのは、拉致された崇光天皇の子孫。もともと嫡流だったこちらの一流は、南朝方によって廃位され京都から連れ去られたことにより、一気に庶流へと転落してしまった。

だが15世紀前半、称光天皇の死没によって後光厳系子孫の絶滅が現実化したため、幕府と後小松上皇(後光厳系)は伏見宮系の彦仁王を猶子とし、後花園天皇として即位させる。伏見宮系が嫡流として再興されたと見なせる。また、現天皇家自体が伏見宮系だと見なすことも可能だ。

ただ、その後伏見宮家は貞常親王に継承され、彼の男系子孫は天皇にはなっていない。したがって、600年近く天皇を輩出していないという結論は変わらないし、現天皇家の一流から男系血縁的にずいぶん遠いという点でも同じなので、僕の論旨そのものを変更する必要はないと思う。

     *

それくらい男系血縁関係が離れていても皇族という扱いを受けていたのは、ひとえに「宮家」という制度に拠るところが大きかったように思う。明治になって宮家は一気に増やされたが、その多くは伏見宮系だった。伏見宮系の皇族は、男系血縁によるというよりも、「宮家」という制度によって皇位継承権を保障されていた、つまり、制度を担保に皇位継承権の正統性を保障されていたと考えるべきだと思う。

だからこそ、その制度が戦後、GHQによって解体されたことはやっぱり大きかったと、僕は考える。臣籍降下(今は皇籍離脱って言うらしいけど)によって「宮家」という制度から伏見宮系の人々が解き放たれたということは、すなわち、制度に担保されていた皇位継承の正統性を失ったとみるべきだと思う。男系で繋がってる「だけ」でいいのなら、源氏みたいに賜姓されて男系で繋がってるんなら誰でもいいことになるけど、そんなの誰も正統だと認めるわけがない。

しかも伏見宮系諸宮家が「宮家」でなくなってからもう60年も経ってる。旧宮家を皇族に戻そうなんて、戦後60年近くほとんど話題にすらならなかったのに、それを皇位継承者がいなくなりそうだからって今さら「復活」させるのが、天皇家の「伝統」にのっとっているなどとはとても思えない。

しかも、旧憲法下ですら実行されることなく、ましてや600年近く天皇を輩出していない「宮家」から天皇を出すのは、むしろ「天皇家」の正統性そのものを揺るがす事態になってしまうのではないか。

     *

ただ、書いててちょっと思ったんだけれど、もし完全に天皇という位が「職務」として認識されることになり、即位する自由、退位する自由が保障され、現天皇の子孫による「宮家」を形成する必要がないということなら、あるいは旧宮家の人間の即位を認めてもいいような気がしてきた。つまり、「宮家」という制度の正統性よりも「男系」というある種虚構的な正統性を重んじるかわりに、「家」を根拠とする正統性は認めない、もちろん「旧宮家」であるかどうかなど問わない、と。

こうすれば、旧伏見宮とかなんとかいう以前に、ものすごく皇位継承権の範囲が広がり、同時代に数百人、数千人規模で継承権者を確保できるし、「男系」という論理を維持することができる。とりあえず男で繋がってさえいればいいだけの話なんだから、お世継ぎ問題なんてのもほぼ無くなる。ただ、天皇「家」という概念は、もはや消滅するだろう。

     *

いずれにしても、もはや今の皇位継承システムでは来世紀まで維持できるかどうかあやしい。僕は必ずしも天皇制が日本社会に必要だとは思っていないけれども、そういう視点を抜きにして現行憲法維持的な観点から考えてみても、男系だからといった理由での安易な旧宮家復活は、かえって天皇制そのものの正統性を揺るがしかねないと思う。

     *