後醍醐の執念。

しかしこれで、旧宮家復活っていう選択肢はほぼ消えたんじゃないのかな。「旧宮家」と言ったって14世紀に成立した伏見宮家系*1だから、男系だと、ほぼ他人ってくらい血縁的には離れている。ヨーロッパなんかだったら完全に王朝交替だと思うなあ。明治以降、門跡なんかが還俗して、「宮家」は制度的にはたくさん作られたけれど、それと血縁とは別問題だし。

観応の擾乱によって北朝が危機に陥ったことが背景となって成立した伏見宮家も、戦後に旧皇族臣籍降下したことで、さすがにお役御免って考えた方がいいと思う。伏見宮家の宮家としての消滅(「家」としての消滅とは別問題)によって、ようやく天皇家は、南北朝内乱の軛から逃れることができたわけだ。

そう考えると後醍醐の影響っていうのは遠く670年後の現在にまで及んでいるわけで、彼の「執念」というものを、やっぱりきちんと考える必要があるように思う。

*1:toshiitoさんの指摘を受け、ちょっと補足。d:id:usataro:20060907:p1