神社としての靖国の「近代性」。

僕の神社についての文章に対して、kousさんからコメントをいただく。わざわざ言及してくださったのはありがたい。

神社についてあえて文章化したのは、kousさんの議論の中で靖国神社が「日本人の心のふるさと」的存在であるかのように特権化されていたことへの違和感を、僕とともに【な】さんがやはり表明されていたからだった。【な】さんは、国家や国の文化という概念そのものの虚構性という点から違和感を表明したわけで、論理的にはその通りだと僕も考える。

けれども、そうした論理的説明を拒否する理由の一つとして、神社の存在そのものが日本文化の具現化として捉えられており、kousさんはそれを「感覚」で感じることによって日本文化の本質に触れている、と考えているように思う。

しかし僕にはそうは思えない。平日の靖国神社の「のどかな雰囲気」は、東京都心の観光地(だから全国から人が集まりうる)でもある広い森のある場所だからという風にしか僕には見えないし、あの巨大な鳥居は威圧感を与えるし、やたら簡素な参道などは、僕には戦前の天皇制的な権威のあり方を思い起こさせる。kousさんはそこに意味を過剰に付与しているに過ぎないと思う。kousさんが「日本人の心のふるさと」だと個人的に感じること自体は一向にかまわないのだが、現実に「日本人の心のふるさと」かと問われれば、断固「否」と答えたい。

これまでそうした議論における「否」という立場からのほとんどの説明は、「靖国」という側面からの説明だったと思う。けれども、それではkousさんの言う「心のふるさと」的な部分への違和感を説明することができない。僕は、kousさんの言う「心のふるさと」という感覚は、伝統的だと考えられている「神道」に、靖国という近代に固有の存在が接ぎ木されているために、その根っこの部分での「神道」の存在によって「心のふるさと」という感覚が生まれてくるのではないかと考えた。

とするならば、靖国神社という存在がkousさんの言うような意味での「心のふるさと」などではないことを説明するためには、そもそも日本文化の本質を現代において具現化する存在としての「神社」が、歴史的にみれは決してそのようには考えられないということを、データを示して批判する必要があると考えた。こういう理由から僕は昨日の文章を書いた。

このような視座に立った時、

この問題は人間の文化というのがそもそもいかなるものかという本質的な問題に接続していくことだと思う。ひとり靖国神社神社神道の問題ではない。他との比較なしにそれを「虚構」と切り捨てるのは妥当性を欠く(というか虚構性を含まないものが人間の文化にありえようか)と思うが、

という言及は、歴史性をあえて無視し本質論に落とし込むので、あまり生産的な議論にはならないと思う。

もし日本人そのものが近代に形成され、それ以前には文化的ルーツとして遡りえないものだということをきっちりと言明した上で、あえて靖国神社を「(近代的な)心のふるさと」だと言うのであれば、賛同はしないが議論の筋としては通っていると思う。ちなみにそれは、ニュータウンにある種の懐かしさを覚えるのと、それほど変わらない感覚だと思う。けれども、「神社」を媒介として明治以前までの日本に結びつけた上での「心のふるさと」であるのならば、その認識は歴史的な意味で否定されなくてはならない。その点をイデオロギーの問題だとするのは、論理のすり替えだと思う。

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ただ、kousさんの意見で僕が一番納得できないのは、ここまで長々と書いてきたような神社の変容をめぐる歴史学的な解釈ではなく、靖国が「庶民の神社」であるという位置づけだ。

日本軍の兵士たちがなぜ「神」になるのか。それは天皇のために戦い、天皇のために命を落としたからだ。そうでなければ、国家神道体制下で庶民が国家の手によって「神」となることなどありえない。庶民は、天皇を媒介とすることによって初めて「神」となる。靖国神社は、「庶民が多く祭神となっている天皇の神社」ではあるが、決して「庶民の神社」ではない。「日本人の心のふるさと」などでは決してないと僕が考えるのも、靖国神社はムラの神社でも町の神社でもなく、あくまで天皇の神社だからだ。

kousさんの議論は、そのことを意図的にか無意識にか、落としている。おそらく、富田メモの問題があってのことなのだろう。けれども、戦前の大日本帝国において、国家とは天皇であり、「日本人」の総体ではない。臣民の集合体が大日本帝国となったり日本文化になることなど、戦前なら論理的にありえない。したがって靖国神社も、その内在する論理として「日本人」の「心のふるさと」たりえない。もちろん、国家=天皇だなんて虚構もいいところだが、その論理によって初めて、兵士は「神」になるのである。靖国神社を現代におけるナショナリズム形成の装置としてみる時に、実はもっとも問題なのが、この神社がもつ「天皇の神社」としての強烈な特性であろうと思う。だからこそ、昨今の靖国をめぐる議論であまり天皇の問題を意識する論者はいないし、富田メモインパクトがネット右翼には今ひとつよくわかっていないということも起きるのだろうと考えている。

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ところで、神社というのが近代、もう少し広く言えば江戸中期以降における国学の隆盛の影響で、根本的と言ってもいいほどの改変を受けたのは、イデオロギーの問題ではなくて事実だ。雪見さんがコメント(8/22)してくださったように、案外その事実は知られていなくて、杵築社の朱塗りの建築も、僕も今年になって初めて知ったくらいだ。ちなみにその模型の写真がここ(中世〜江戸初期)ここ(江戸中期以降)にある

ただ、そうした事実をどう解釈するのかという点で、立場による違いがある。

いわゆる「皇国史観」の側に立つ人は、当然のことながらそうした改変を字義通り「復古」として肯定的にとらえており、したがってその立場の人からはさほど言及されることもないように思う。こうした考え方は神社固有の歴史や伝統の否定であり、ある意味では自殺行為なのだが、平泉史学的な徹底した教条主義の解釈は、そうした固有の歴史など國體の衰えを意味するものでしかないということなのだろうか。

これに対して、皇国史観をとらない保守的立場の人は、皇国史観的なとらえ方に対して理解は示しながらも、国家神道体制とその神社管理によって、江戸時代までの宗教的伝統が途絶えた、ないし弱体化した、と考えているようだ。もちろん論者によってそれぞれ見解は違うんだけれど、こちらの立場の方が明らかに近代における断絶を学問的にとらえようとしている。歴史学の主流的見解としても、近代における断絶は重視されており、この点では学問的共通認識が成立していると言ってよいだろう。

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とりあえず、靖国シリーズはこの辺で打ち止めかなあ。