実感としての「戦争」とイデオロギー。

ところで、kousさんが育った環境がどういうものだったか僕は知らないけれど、僕が高校までいた環境には、いわゆる「左翼」なんて人を誰も思い出せなくて、平和活動を熱心にやってた人なんてのも、実は身近にいた記憶がない。教員でもそうだ。逆に右翼っぽい教員はいて、君が代を高らかに歌ったり最高敬語をやたら詳しく教えたりして、僕は直接教えを受けてはいなかったが、当時ですらやや目立っていた。

それは、周囲がみな左翼にシンパシーを抱いていたというのでは全くない。今思うに、僕の育った環境ってのは、今みたいな自覚的な右翼とか保守ではなくて、なんとなく付き合いで自民党を支持しちゃうような、日本の地方によくありがちな環境だったんだろうと思う。周囲で政治や思想の議論をしている人なんて、東京に来るまで現実として見た記憶がない。基本的にはいわゆる「ムラ社会」だから、そうした議論そのものが好まれなかったのだろう。小学生の頃なんて、僕自身軍隊ごっこやったり、ガンプラが一段落したあとは海自の家の子どもと一緒に旧日本海軍の軍艦のプラモデルをたくさん作って遊んでるような子どもだった。今でも戦艦や空母に限らず、重巡軽巡駆逐艦の名前をある程度なら覚えてるし、戦艦大和の初期と沖縄特攻との兵装の違いも見ればわかる(まあ軍艦マニアなら最低限の知識だろうけど)。

そういう田舎に育った僕にとって、僕が中学・高校生だった頃の歴史教育を「自虐史観」だなんて言われても、正直今でもピンと来ない。従軍慰安婦問題などが取り上げられるようになったのは1990年ごろからで、少なくとも僕の使ってた高校教科書には載ってないし、「天皇制」やその「反対」なんて、高校3年の「政治・経済」の、受験で必要ないから現実には大して使いもしなかった参考書を物好きにめくっていて、初めてきちんと知ったくらいだ。靖国神社とか「テンノーヘーカバンザイ」なんて年寄の言うことと決まっていた。さすがに、高2の冬に昭和天皇が亡くなったころからは、いろんな議論があるんだなということくらいは知ったが、そういう意味では、政治的にはきわめてノンポリ、あるいは無自覚的保守の環境だったわけで、あったのは、原爆の被害というきわめて実感的な部分に支えられた、ただ庶民的な意味での「戦争反対」だけだった。


だから今の僕は、特に政治や歴史・思想に関心を持たず日々普通に暮らしている人たちの間から、実感に基づいた「戦争反対」すら消えてしまって、その代わりに実にイデオロギー的な「靖国」が入っちゃうような状況であるとするのならば、そこに戦争に対するリアリティがきわめて希薄になってきているという意味で、やっぱり危機感を感じる。

     *

もう少し展開したかったんだけれど、今ひとつうまくまとまらないので、また折にふれて。それにしても、こういうネタを書き続けるのは、けっこうしんどいなあ(笑)