「B層」その他。

kousさんのこの文章、批判の対象になっているのはおそらく僕の日記の文章ではないかと思い、反批判というほどではないけれど、いくつかの指摘についてコメントしておきたいと思う。

まず小泉支持者のある階層に対する「B層」の呼称について、これが下品な言葉であるというのには、僕も同意する。もともとこの言葉の成立自体、政権担当者のブレーンのなかに、こういう言葉を使って支持層拡大をはかろうとしていた人物がいたということは事実だ。そしてその後の小泉政権の動向、すなわち論点をYES/NOの単純な二項対立に落とし込むような政治手法、低所得者層に理不尽に厳しくなるはずの格差拡大を許容した新自由主義政策を取っているくせに、まさにその層の支持を取り付けるためのメディア戦略などは、小泉政権による「B層」への狙い打ち政策であろう。そういう意味で、下品な政策から生まれた下品な言葉であることは間違いないと思う。

しかし、そこまで権力者の側から馬鹿にされ、また彼らの新自由主義政策のために自らの生活基盤が崩壊しつつあるにもかかわらず、そのことに気づかないままなおも彼らの新自由主義政策を支持し続けている人々が、おそらく現在では「B層」と呼ばれているのではないかと思う。

ただ、僕はもっと限定した使い方をしている。加藤氏実家放火という事態を前にして、「ざまあみろ」「GJ」といったことを書き込み加藤氏の言論を否定するような連中は、新自由主義的政策を支持するのかどうかといった問題以前に、民主主義の原則を自ら掘り崩すことに何の疑問も感じないという意味で、市民としての基礎的な教養の欠落、下品さを感じざるをえない。こういう連中の唱える感情的な靖国参拝肯定論など、はっきり言って対話の余地が無く、議論のレベルにも達していない。

ネット上だと、こうした連中の「議論」も文字として等価に残るのだが、本来、こういう連中の"叫ぶ"ことなどをいちいち「議論」だとして相手にしてはいけないのではないか。もともと、同じ議論の土俵に乗る気がないわけだし。そういう意味で、「B層」とでも呼ぶしかないのではないかと考える。当然、僕はまったく侮蔑的にこの言葉を使っている。


次に「歴史を知らない」という言葉だけれど、これも、「参拝賛成」だという人の「議論」で目立つのが上で書いたような連中の話のようなのばかりでは、そう考えるのも無理はないような気がする。kousさんのいうような枠組以前の問題で、そもそもそういう連中とは議論にならないことが、問題なのだと思う。きちんと議論を交わそうとする人に対して認識不足・学習不足という形で議論を打ち切ってしまうのは僕も問題だと思っていて、それはこうした問題とは全く別の話として、僕も考えるところがある。ただ、自分の意見を相対化することもできず、知識を吸収・咀嚼して自分の考えを熟成させたり改めたりすることもせず、ひたすら自分の意見を「叫ぶ」だけの連中には、きちんと「知識不足」だと言ってやることが必要だと思う。

これは余談だけれど、今の中・高校生だと、もう高度経済成長とバブルとの区別すら付かない生徒が増えてきている。またネットの書き込みでも、小沢一郎が「サヨク」になってしまっていて、ちょっと唖然とする。小沢だって石原だって、保守ってところでは大して立ち位置なんて変わらないはずなのに、今のそういう連中は、そんなことすら知らないのかという、ある種の「感慨」がある。もはや今の高校生の大半にとって、「ロシア革命」と言えば1917年じゃなくて1991年だもんな…。

もちろん、枠組的な問題もある。ただこれは、書き始めるとずいぶん長くなるので、ここでは止めておきたい。


最後に「戦前回帰」という言葉だが、ここについては、kousさんが言う批判が当たっている面もあって、本来はその後の段落で使うべきだったなと思う。ただ、そうした「国士」や「義士」の“行動”を否定し、あくまで言論に依るべきだというのが民主主義社会の原則であって、現代の日本ではそれは尊重されているが、戦前の日本で必ずしもその原則が尊重されていたとは思えない。だからこそ、“行動”が起こされたのだろうと思うが、“至情”をどう見るかというのとは別問題として、結局それは戦前の日本という国家・社会の限界だと見るべきであろう。また、今回“行動”を起こしたのが(細かい背景はわからないにせよ)右翼団体構成員であるところからしても、「戦前回帰」だと評するのが間違いだとは、僕は思わない。

ただ、僕が本来強調したかったのはむしろ後段で、なんとなくそうした“行動”が肯定され、地域のなかにも男女問わず“義挙”を賛美する風潮が強まっていく中で、次第に多様な価値観をもつこと自体が否定され、モノが言えなくなっていく、そうした1930年代からの日本社会を念頭に、嫌な予感を僕は感じた。


それから、これは今回の話とはまったく関係なく、でもkousさんの文章を読んでふと思ったことのが、数年前の、いわゆる歴史教科書問題だった。あの教科書、確かに現実に教科書としてはボロいところが多く、そういう意味でも「問題」ではあったんだけれど、でも、歴史学会の側は、そういうボロさのところにばかり反応していて、理解の枠組やその受容の問題について正面から反応したのは、むしろ歴史学以外の人々であったような気がする。

しかしあの問題は、教科書がぼろいかどうかというところが本来問題ではなくて、その歴史認識や歴史叙述の枠組が問題だったのだと思う。もちろん近現代史の研究者は、そうした点でも批判していたと思うんだけれど、たまたま僕が前近代史をやっているせいか、周囲であまりそうした点を問題にしていた人は多くはなかったように思う。

そういう意味では、kousさんの批判はやはりある実態を突いているところがあって、学問に携わる人間の考えるべきテーマとして、市民の歴史認識の傾向の変容を、もう少しきちんと考えていくべきなのではないかという気がする。