やっぱり参拝。

小泉の靖国神社参拝ネタ。参拝そのものは見てないんだけれど、その後行われた記者会見を見た。なんというか、あまりに貧相で薄っぺらい歴史認識に、憤りというよりも、これで首相なのかと正直ちょっと驚いた。あの会見、単なる言い訳会見だ。敗戦国の戦争指導者であるとみなされているA級戦犯が合祀されている靖国に、戦後日本の最高権力者が参拝するということが歴史的にどんな意味を持ち、どんなメッセージを発することになるのか、全然考えていないってことがよくわかった。

彼自身が個人的に靖国に対して感じている感情のようなものは、なんとなく理解はできる。硫黄島の戦死者の慰霊祭に首相として初めて出席したり、長崎・広島の平和記念式典にも歴代首相がけっこう欠席がちだった中、毎年欠かさず出席していることも知っている。おそらく彼自身の中では、靖国参拝もそういう文脈の中で行っているのだろうと思う。A級戦犯がどうのとかよりも、「日本のために命をささげた人を……」という感情が、彼を参拝へと突き動かしているんだと思う。そういう点では、彼は彼なりに真剣に感じているのだろう。

僕から見ると、戦死・原爆といった、いわば大文字の「犠牲者」ばかりに目が行き、そういったメモリアルなところからこぼれ落ちる小文字の犠牲者、あるいは、他者としての朝鮮半島・中国・東アジアの人々がまったく視野に入ってないように思う。ただ、それはそれとして、彼の気持ちそのものは否定すべきものではないし、尊重すべきだ。

けれども、第二次大戦で最後に降伏した国を引き継ぐ国家の最高権力者という立場にある者として、個人的な感情で動かれては困る。マスコミ集めて、モーニング着て本殿に上がって「内閣総理大臣」って記帳しちゃうのは、どう考えても公式参拝でしょ。それを個人的な感情の問題だとして押し切ろうとするのは、政治的な慎重さ、憲法の遵守に著しく欠ける態度だといわざるをえない。しかも、国家の交戦状態に関わる問題、すなわち国家観の基本的な信頼関係に関わる問題と、日本の国連安保理常任理事国入りといった、あくまで政治的課題の一つに過ぎない問題とを、同一の次元で考えてしまっていることも、外交的センスの欠落、内輪しか見てない視野というものが浮き彫りになってくるように思える。

そしてなんと言っても、A級戦犯に「首相」が手を合わせることの歴史的な意味より個人的な感情を優先させる、その歴史的センスのなさに、僕はがっくりきた。あの会見、僕の率直な感想は「歴史を知らなさすぎる」だった。知識としての歴史ではなくて、靖国参拝という行為そのものが帯びる歴史的な系譜への理解、そこから見えてくる「他者」への想像力といったものが、彼にはまったく欠落している。内輪以外は容赦しないという姿勢は、郵政解散の時もそうだったもんな。

ワイドショーやネットで作り出される「B層」の一部には、論理よりも感情を優先させる小泉の姿勢が未だに痛快に思えるのかもしれないけれど、そんなのはっきり言ってバカなだけだ。昭和天皇の言葉のメモという隠し球で、ようやく小泉の靖国へのこだわりが保守の中ですら相対化されてきたようだけれど、もう「小泉劇場」も終わりなのだから、そろそろ正気に戻って頭を使って考えてほしい。