靖国合祀問題における天皇の不快感の中身。

先に「凍結」論を書いちゃって、現在の時評的な靖国論は書いていなかったので、それについても言及しておきたい。

昭和天皇のメモについては、僕もどういう経緯で公表されることになったのか、ちょっと気になっている。普通は研究者がある程度史料論的な性格を見極めた上で、論文として公表されるのと同じ時期にマスコミ向けに発表されるんじゃないのかな。そういう意味で、専門的な観点から史料的性格を保障する研究者の紹介という形を取るべきではなかったのかなと思う。

ただ史料的性格に関して、僕は近現代史の研究者じゃないし史料も見てないんで専門的なことは言えないけれど、報道されている限りの情報で一般人の一般論として判断するならば、史料的には同時代史料と見なしてよさそうな気がする。この部分が貼紙になっていたことをもって信憑性を疑う人がいるけれど、その他の部分にもこうした貼紙部分があるのならばそのことはとりたてて問題にはならないし、筆跡やインクなど、特にこの部分だけ改竄されたことが明らかでないとするのならば、この部分だけをことさら取り上げて改竄だとする方が不自然。さらに、元宮内庁長官やその遺族といった人が、あえてこうした改竄をする必要性も感じられない。

まずは政治家も含めいくつかの意見にみられるように、近現代政治史の史料としてある程度検討するべきだと思う。本来、そういった評価を踏まえて議論がなされるべきだけれども、いちおう一般的な立場からこの史料を眺める時、天皇が非公式ながら不快感を顕わにした原因として考えられるのは、個人的な好き嫌いとか戦争責任問題といったことよりも、直接的には、合祀の基準をめぐる問題への不快感じゃないのかな、という気がする。

僕は、昭和天皇がいわゆる現代的な意味での平和主義者であったなんて思っていない。終戦時には何よりも神器が失われることを憂うような人物だ。もちろんそのことが、彼が戦争責任について何も考えていなかったことを意味するものではないし、メモ中にも「平和」という言葉は現れている。ただ、昭和天皇にとっての不快感は、戦争責任問題以上に、「上奏」時に自らの意志を内々に表明したにもかかわらず、合祀を強行したことに対する不快感なのではないだろうか。

戦前は天皇への上奏を経、裁可によって合祀が決定されていた合祀のプロセスにおいて、戦後天皇への上奏が公式にはなくなったとは言え、形式的な「上奏」は戦後も行われてきたようだ。天皇の名において戦地に向かい、死んだ兵士たちを合祀する、そのことに最終的に裁可を与えるのは自分だという意識を、戦前・戦後を通じて昭和天皇は持ち続けていたのではないだろうか。天皇が戦後も数年ごとに靖国に参拝し続けた理由の一つには、みずからが裁可したことによって戦没者祭神となる、そのことに対する責任感を彼が感じ続けていたことであるような気がする。この一連の動きは、明確に政教分離原則に違反するが、昭和天皇はおそらく確信犯的に参拝していたのであろう。

A級戦犯について、恩給の問題はともかく、彼らを「英霊」とすることについて、昭和天皇自身がどう考えていたのかはよく知らない。が、当時すでに相当の異論が存在していたことは間違いない。そういった人々を合祀することが、靖国戦没者追悼の性格から逸脱させ、政治化させることだけは明らかだ。昭和天皇の合祀に対する意志はともかく、合祀によって引き起こされる政治化への懸念を天皇が抱いていたことは、今回のメモや周囲の人々の証言からも確実だ。さらに、松岡洋右白鳥敏夫といった人がもし服役中の死でなかった場合、おそらく合祀されることなどなかっただろう。戦前とは明らかに違う政治的な基準による合祀。これも、天皇が違和感をもつ原因の一つであったのではないか。そういった天皇の意向をよく汲んでいたからこそ、筑波宮司は合祀を留保したままにしたようだ。

しかし、次の松平宮司A級戦犯を含めた合祀を「上奏」してしまった。しかも改めてそうした懸念を「内々に」伝えたにもかかわらず、「一宗教法人」たる靖国神社は、天皇の意向を無視する形でA級戦犯の合祀を強行した。僕が考えるに、昭和天皇の不快感は、宮司が叡慮を無視する形で「勝手に」合祀したことへの不快感、つまり、靖国が独自の意志で祭神を決定したことに対する不快感ではないのかな、という気がする。

昭和天皇は、彼の公式の振る舞いはともかく、意識としては、そして非公式な言動としては、最後まで「君主」であり続けた人物だと僕は思っている。また前にも書いたように、靖国祭神に対して最終的な責任を持つのは天皇だ。したがって、宮司の僭越に不快感を示したという解釈が、このメモの解釈としては一番妥当なのかなと、今のところ、僕は考えている。

そうなると結局、どういった立場に立つにせよ、戦後の国(厚生省)と靖国神社との合祀業務が、実は靖国問題のもっとも「問題点」だということになってくる。僕は、この業務が明確に政教分離原則に違犯している点をもっとも問題視していて、天皇が反対しているかどうかなんて関係ないし、関係づけるべきでないと思う。一宗教法人の意志として、天皇がどう思うかということは少なくとも政治問題としては何の関係もないはずだ。またそれを理由に分祠問題などを進めていくことにも、国家の一機関であり政治的権能を持たない天皇の政治利用かつ政教分離違犯であるので問題だと思う。もちろん、同様に首相や天皇靖国参拝政教分離原則に違反するという意味で問題だし、国家と国民を滅亡の淵に陥れたA級戦犯を「無罪」視する気もさらさら無い。

ただ、祭神を合祀する上で、「宗旨上の」根幹であるはずの「叡慮」に背いてまで靖国が合祀を強行したことは、「靖国神社」という歴史的存在そのものの自己否定という意味で、保守的な見地からも「問題」なのではないのかな。