前近代社会で宗教教義はどのくらい重要だったのか。

報告は非常に興味深いものだったので、いろいろと考えの広がるきっかけを与えてくれたんだけれど、報告内容と直接関係ないところで、ちょっと考えるところがあった。宗教史のみならずとも、宗教的な差異が「かたち」や「ことば」の違いに結びつく美術史や文学に比べて、歴史学でどこまでそういった差異を重要視すべきなのかについては、ちょっと学問間での認識の違いがあるような気がし始めてきている。それを言えば、そもそも、歴史学の研究者で宗教や信仰の問題に関心がある人自体、それほど多くはないように思うので、すでにその時点で違いがあると言えばあるんだけれど。

けれども、単に宗教への関心の有無ということだけではなくて、宗教の問題が当時の社会のさまざまな局面においてどれほど重要なのかということに対する認識自体、宗教史や美術史・文学と歴史学とでは、やや異なっているような気がする。

例えば、中世(近世でもいいけれど)の庶民にとって、自分たちを救済する坊さんやお寺の属性が真宗であるのか律宗であるのか法華であるのかといった違いが、当時の社会を理解する上でどこまで重要なのか。

「実は庶民にとってあんまり違いがないんじゃないか」という理解は、現在のような宗門史に分離してしまった宗教史的視点では、これまでの理解の枠組に変更を迫る重要な問題だというのは、「研究史的には」僕も理解できる。けれども、「そんなの当たり前じゃないの?」という感覚が、一方ではある。つまり、宗教の教義の問題を主要な研究テーマとして取り扱わない立場での、素朴な現代的感覚で物を言うならば、自分たちの葬式や供養をきちんとやってくれて“ありがたい”お話をしてくれるんであれば別にどの宗派でもかまわなくって、ただ先祖代々どこの檀家だからとかそういった社会的関係によって宗派を選んでいるに過ぎない…

こういう感覚は、別に僕だけじゃなくて、ある程度社会的に共有された認識だろうと思う。そして、いくら中世では宗教が大事だったからといって、教義の中身までもみんながみんな把握していたのかといえば、やっぱりやや疑問に思う。だからこそ、歴史学として宗教や社会を考える上では、大方の人は教義の問題にさほど関心を払わなくって、関心を払う人は宗教史って枠に括られる、そういう傾向があったのではないか。

教義の問題だって、社会のある局面においては重要なのだろうと僕は思っている。そういう意味では、歴史学において宗教の問題はもっと考えられるべきだとは思う。けれども今の段階での僕にとって、あまり教義的な問題に関心が向かないのは、教義的な論理による説明には限界があると僕が感じているせいだろう。特に、当時の社会を説明しようとする時、教義の問題はあくまで限定的な影響しか持たず、むしろ宗教一般としての問題をもっと考えるべきなんじゃないのかなあ、という気がする。もし教義的な論理の追究が、結果的に宗門史的な学問の形成に大きく寄与することになったのだとするならば、宗教一般としての受容などの問題を考えていくためには、教義などにさほど関心の向いていない僕のような人間が、現在では宗門史的に進められている(ように思える)宗教史にもっと参入することによって、問題設定などの枠組、パラダイムが転換していくことが必要なのかもしれない。