栃木県立博物館「中世の東国」と宇都宮の町歩き。

日曜は、この日で最終日となった栃木県立博物館の「中世の東国」という展示を見るために宇都宮へ。宇都宮は去年にも来ているけれど、この時はほとんど通過したって感じだったので、その前はもう7〜8年前になるのかなあ。

お昼ちょっと前に、相方さんとともに家を出る。宇都宮まで、この辺だと新幹線の駅まで行くのがちょっと不便で新幹線特急券のコストパフォーマンスが悪い。かといって東武伊勢崎線に接続してる駅まで行くのも、もっと大変。というわけで、湘南新宿ラインを使うことに。どうせなら安く上げようということで、東北線の小山まではフリー区間である「ホリデーパス」(2300円)を購入し、残りを精算。これで、往復500円ほど節約。

けっこう長いことE231系に揺られ、1時半頃宇都宮へ到着。お昼がまだだったので、とりあえず宇都宮なら餃子だろ!、けれど時間がない、ということで、駅ビルで餃子屋を探す。有名な「みんみん」は改装中で店内での飲食ができないということだったので、隣の「青源」という店に入る。あまり期待しないで入ったのだが、相方さんの頼んだ味噌を載せた餃子が結構旨い。定食に付いてるなめこの味噌汁もまた旨い。餃子屋に入って味噌が旨いというのはちょっと嬉しい誤算。餃子もまあまあ美味しかったです。

その後、博物館へ。この展示、基本は栃木を中心とした中世遺跡の発掘調査の成果で、文書はほとんどなかった。文献史学屋さんとしてはちょっと残念だけれど、地域の発掘の成果が盛りだくさんに展示されているので、展示としては地域に根ざしたよい展示だったと思う。

僕が初めて見たのは、「内耳土器」という形態の土鍋。鍋の内側上部に、紐などを通すための耳が付けられており、そこに紐を通して紐を吊って煮炊きをするらしい。僕は研究対象としている地域が西国なので、どちらかというと西国の展示をよく見ているんだけれど、そこでは内耳土器なんて見たことなかった。僕が見たことないだけかなあ?でも、記憶を辿ってみても馴染みのない形だよなあ。まあ考古の人だとこんなの常識なのかも知れないけど、いちおうちょっと気になったこと、ということで。ご存じの方、いらっしゃいませんか?

その後、宇都宮市内をてけてけ歩く。宇都宮って城下町のはずだけれど、どうもそういう感じがしない。たいていの城下町だと、街割りなんかに城下町の面影は残ってるんだけれどなあ。宇都宮女子高ってところの脇を行きに通ったんだけれど、そこ、確か地元の古い進学校のはずだと思うんだけれど、なぜ高校がそんなところに位置しているのか、いまいちよくわかんなかった。古い高校って、たいていは旧藩施設やらの跡地を利用してることが多いんだけれど、そこはどう考えても住宅地のど真ん中にしか思えなかったし。

しばし歩いて、東武デパートのAfternoon Teaでお茶。スコーンが美味しかった。冷たいチャイを頼んだら、ポットに何杯分も、お腹一杯になるほど入ってて、疲れた身体には効いた。

宇都宮は以前にはデパートがたくさんあったのに、いまではこの東武だけががんばっているらしい。北関東は郊外型店舗のメッカだからなあ。とはいえ、日曜夕方という時間にもかかわらず、中心地商店街の人通りの少なさにはちょっとまずいなって気がする。

東武を出たあと、二荒山神社にお参り。宇都宮中心部にある、宇都宮の歴史をずっと見てきた神社のはずだけれど、ここもやっぱり史跡っていう雰囲気がない。全てが明治・大正の頃初めて作られましたって感じ。うーん、立派な神社なのになあ。そこから道を歩いて駅へ。再び湘南新宿ラインに乗って帰京。帰りに、宇味家というところの餃子を買って、車内でビールを飲みながらつまむ。焼きたてで美味しかった。幸せな気分で東京に戻った。


都市としての宇都宮の感想を率直に言うと、どうも歴史性を過度に除去しちゃった街、という印象が強い。街そのものの条件としては、中世以来の神社があり、近世の城郭がある城下町であり、街道が通る宿場でもあるという、歴史性をアピールするのに相当いい条件を備えた街のはずだ。さらに、城下の外側には川が流れていて、この川を整備したら相当に文化の香り高い街並みになっていたはずだ、と僕は思う。

けれども、現実の宇都宮はそうではないように思う。JRと東武の駅前を中心とした開発という東京近郊型の中心街形成が行われているし、どうも未だに道路拡張なんかをやろうとしているようだ。しかも中心街は相当程度衰退している。そういう現状に対して、行政はいまいち理念ある都市計画を提示できていないように感じられた。

もともとこの地域の歴史の中心的存在なんだから、宇都宮はその歴史性を本物でアピールするような街作りってのが必要だったんじゃないかなあと思った。建物などはもう失われてしまったから仕方ないにしても、これまでのその地で暮らした人々の歩みを大切にしながら新しいものを積み重ねていくことこそが、街に歴史的な重層性を生み出し、街を守ろうという意識にもつながっていく。鉄道から自家用車へって流れのなかに街が左右されるんじゃなくて、もっと街を規定する部分のところを大事にしていく街作りをやってほしい。