訃報。

ほんとに久しぶりに有休を取れたのでどこかへ行こうと相方さんに誘われ、リクエストのあった長野県は上田のさらに奥、青木村の田沢温泉に行った。ゆったりと温泉に入り、地酒をいただいた。普段よりも少し多めに飲み、いい気分でいた旅先の僕の携帯に、一本の電話がかかってきた。にわかには信じられないような情報に、僕の酔いはすーっと引いてしまった。訃報だった。

一時期病に倒れ、確かに危なかったようだけれども、退院して以降、みるみる元気になって血色もよくなり、外見は以前の頃とあまり変わらなくなった。研究会でもよくお見かけするようになり、積極的に発言する姿を見て、ああ、すっかりお元気になられたなと思っていたのに。

4月の終わりに僕の在籍してる大学で研究会が行われた時に、お見えになっていた。会の休憩時間、僕が飲み物を買って会場に戻る時、建物の外に出てきたその姿をお見かけして、「今日はもうお帰りですか?」との僕の言葉に答えてくださったのが、最後となってしまった。

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同じ大学の大先輩でありながら、院に入ってしばらくは、僕はどんな人なのか知らなかった。ただ、それは僕のいた大学では別に普通のことで、その後、著書や学会などを通じて研究内容や人となりを知るようになった。同じ出身大学の後輩ということで、なんとなく顔も覚えてくださったようだった。

けれども、その後ある転機が訪れた。それは、僕の在籍していた大学の、別の研究科の院に出講されるようになったことだった。僕は正規の在籍生ではないものの、そのゼミに2年ばかり出るようになり、これまでよりも親しくお付き合いさせてもらうことになった。

いつもニコニコされている先生だったが、教育者を育てる立場におられた方らしく、時間には厳しかった。僕はといえば、先生がいつもニコニコしているのに甘えてしまって、よくゼミに遅れてしまう時間にルーズなところを、先生に叱られた。そしてご自分でも、時間にはきっちりしておられた。今年3月の研究会でも、会場に一番に姿を見せられた。まだ会場の鍵を開けていなかった僕は、あわててその鍵を開けた。ちっとも表面には出さないが、ご自分の姿勢はきっちり正していた先生だった。

学生のゼミ報告については、とにかく長所を褒めてくれる先生だった。全否定するとか否定的に見るとかいうことはせず、あくまで長所を褒め、その上でどうしたらもっと面白く、発展する議論になるかという観点からコメントをくださった。僕なんかは、発言するにしても、その報告の問題点を出していくようなコメントばかりで、ゼミでの先生のコメントに対して「学会の大会の時みたいにもっと厳しく言わなきゃ」なんてことを思ったこともあったんだけれど、それが先生の一貫した教育方針から出ているものなんだということに気づいたのは、もっとずっと後になってからだった。

その後、先生の深く関わる研究会などにも、時々参加させてもらうようになった。先生が報告内容に対して発言するコメントの方針は、やはり同じだった。そして、いつも一番や二番に会場に入ることも。

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いろいろと書きたいこともあるけれど、それを書くための時間や精神的な余裕がない。また、思い出したら書く、ということにしよう。