「ひとり団地の一室で」。

NHKスペシャルの再放送。ちょうど今関心のあるテーマだったので、興味深く視聴した。

1950年代から60年代にかけて建設された初期のニュータウンでは、住人の高齢化が進んでいる。また現在の住居水準から見れば比較的狭い部屋なので、公団では高齢の単身者に安く貸し出しているようで、一人暮らしの中高年男性が多く入居している。しかし、彼らは社会との接点がなく、気づいたら亡くなっていたという孤独死が多く起こるようになってきた。この特集は、このような孤独死を防ぐために住民自らが立ち上げた「孤独死防止センター」の活動を取材した番組である。

年齢構成の偏り。

当初は最新設備を誇っていた公団住宅も、すでに45年を経て老朽化が進んでいる。団地新築時に入居してきたのはみな若い核家族世帯であり、子どもを通じた住民同士の親密な交流が行われた。現在でもその交流は、以前の住民も参加するという夏祭りの開催に象徴されている。センターの活動を担う人々も当初からの住民であり、自治意識が強い。しかし、当初からの住民も、子どもは独立して親世代の高齢化が進んでいる。

一方近年入居してきた中高年男性は、さまざまな事情を抱えた挙げ句、社会との接点を失ってこの団地にやってきたという人が多い。彼らは仕事もなく、また地域との接点もなく、したがって一日中家の中に閉じこもっている。亡くなっても誰にも知られず、2、3ヶ月してから発見されるという場合も多い。

団地への入居のきっかけにかかわらず、団地の住民全体の高齢化が進んでいることで、孤独死の問題も多くなってきている。

男性孤独死の多さ

ここで取り上げられたのがたまたま男性だったというのではなく、どうやら男性の孤独死は女性に比べ多いという現実があるようだ。病気やリストラによって職を失い、離婚によって家族とのつながりを失い、そしてこの団地にひとりで住まうようになっている。

住民主導の取り組み

センターで活動するのは、先述のように団地新築当初からの住民で、その地域に愛着を持ち、自治意識が高い人であるようだ。しかし彼ら自身がすでに高齢者であり、身体の不安を抱えていたり、配偶者を失ったりしている。そのような彼らが、10歳以上年下の世話をする。そういった「老々介護」の現実も、ここからは垣間見ることができる。

感想

いま、お仕事の関係でニュータウンや郊外のことについていろいろと調べている。たまたま今読んでいるのがマーケティングの視点からの分析なので、郊外型の消費社会や階層分化といった論点が多かったのだけれど、地域全体の高齢化という問題もやっぱりきちんと考える必要があるなと、改めて感じさせられた。またこの問題は、高度成長期の住宅政策のツケという側面もあるのだけれど、一方では、これから日本全体が迎える超高齢化社会の先取りであり縮図であるようにも感じられた。

また、これまでの社会の歪みから弾き飛ばされるのは、中高年男性なのだなということも改めて感じた。社会が登り調子でいる頃はみながそれなりに幸せだけれど、社会に余裕が無くなっていった時、こういう男性がもっともその影響を受けやすいのだろう。これまでは、男女の性別役割分業意識があり、現実に職に就けるのは男性の方が可能性があったから、妻から切り出された離婚で慰謝料を払ったって男性が食っていくことができたのだろうけれど、こういう孤独死の多発といった状況を見ていると、離婚の際の財産分与などについても、これまでの意識を離れ、いろいろと考えていく必要があるなと感じた。そして、高齢の独身男性への保護というものをちゃんと考える必要があるだろう。

このことと関連するのだけれど、女性は比較的地域社会との接点があることによって、孤独死といったような状況に陥らなくてすんでいるのではないか。とするならば、最も重要なことは、一人暮らしの高齢者を地域社会の中にどう組み込んだ形で共存していくか、そういうことになるんじゃないかなあ。

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以前から思っているんだけれど、安い住宅は、決して高齢者だけじゃなくて、まだそれほど収入のない若い人にもそれなりの需要があると思う。とくに都心部だと、狭くても古くても安ければ若い人は入居すると思う。そういった若者と高齢者との混住というのは、地域社会を再生する上で、ひとつの鍵になるんじゃないのかな。同じ駅の駅近隣は若者と高齢者、やや離れて核家族が生活する、という形でのサイクルを考えれば、引越を経ながらも同じ街に住み続けることができると思う。少なくとも、現在のような、年齢や社会階層が偏る地域というのは、必ず歪みを生じてしまうと思う。