「“戦争”請負人」

今日のNHKスペシャル

今年イラクで亡くなった齋藤さんのような、警備会社の社員として「戦場」に派遣される人々とその会社を扱ったドキュメンタリー。

傭兵や外人部隊という形で戦争に加わる人々がいることは知っていたが、イラクのような「戦場」で、警備会社が業務を行っているということの意味をあまり考えたことがなかった。その意味で僕は、正規軍だけが軍隊だという思い込みに囚われていた。

米国防長官ラムズフェルドによるイラクでの軍事活動の「民営化」は、決して行政改革などではなく、その本質は軍としての戦死者減らしとコストの削減にある。一方、軍隊を退役したものの社会に居場所を見いだせない人、さらに不況で働き口のない人々にとって、戦場での業務に従事することによって得られる高額の給与は、たとえそれが生命と引き替えだったとしても、魅力的に映る。

しかし、正規軍兵士としての死亡ならば手厚い補償を受けられるのに対し、彼ら民間会社で雇われた人間は、僅かな手当のみしか受けられず、その後の補償も一切ない。


これはまさに経済問題だな、と僕には思えた。今後こういう形での“戦争”産業が、各地で紛争が起こるたびにますます発達していくのではないか。そして、国家によって正規軍として派遣される人数が減少するかわりに、警備会社がその任を実質的に請け負う。警備会社は、軍隊経験者を安いコストで雇い、使い捨てる。そう、まさに使い捨て。

国民国家における国民皆兵という理念とは裏腹に、貧しい者が多く兵役に就いているという現実は、すでにアメリカにおけるイラク派遣の兵士の事例などによって知ってはいた。しかし今回取り上げられた警備会社による「社員の派遣」は、まがりなりにも機能していた国民皆兵という理念を実質的に空洞化させるものだ。

こういった形での「抜け道」が整備されてくるようになると、おそらく正規軍しかカウントされていない戦死者数という数字に意味がなくなってくる。そして、兵士そのものに値段が付けられるようになる。それは、生命に値段が付けられるのと同じことだ。

兵士の調達が「雇用」と化すことによって、戦争によって生命が失われることへの実感が、中流以上の市民からはますます消えていくことだろう。自分たちはそういう雇用に応募することはないからだ。そして見かけ上の戦死者数もどんどん減っていき、最新兵器がふんだんに用いられる、まるでゲームのような戦争、という状況が、少なくとも数字の上では現実に作り出されるだろう。

見かけ上の戦死者数減少は、戦闘そのものに参加することが利益となるような、社会的に貧しい人々の犠牲と裏腹である。しかも貧しい人たちは、稼ぎ口になる戦争に対して反対する手段を持たない。こうして戦争が、貧しい人たちの生命を金で買う手段として機能しはじめるのではないだろうか。そして戦争そのものが自己目的化していく、そんな可能性だってありえるのではないだろうか。

今のところ、警備会社が作戦行動に出るというようなことはなさそうだ。けれども、今後そのような可能性がないと言い切ることはできない。むしろ、国権の発動でないがゆえに、自由に作戦行動を行える存在として、実質的に軍事活動自体が企業によって担われていくこともかんがえられよう。そして、社会の階層化が、自らの生命を売るというようなところまで大っぴらに進んでいく、そんな可能性も十分考えられるよな、という感想だった。