「精霊流し」

さだまさし原作の小説を映画化したもの。原作の方は未読。監督は田中光敏、出演は内田朝陽酒井美紀池内博之高島礼子ら。

ちょっとは期待したんだけど、うーん、厳しいなあ。最後のオチに向けて、思いが空回りしてる感じがした。ストーリー的に、ちょっとバタバタしてる感じは否めなかった。いろんな人のいろんなドラマが、希薄なまま描かれちゃってるっていうか。

それから、個々の人物の描かれ方が薄い。例えば主人公の内田朝陽は、バイオリンを勉強するために上京したくせに、なんで自動車整備工やってるの?とか。人物設定の時点でちょっとよくわかんないことが多すぎ。批評サイト見ると、端折り過ぎって批判があるみたいだから、時間にあわせてストーリーを縮めちゃったのかなあ。

それでも、せめて長崎の風景をていねいに綺麗に撮ってくれたならまだ救われたんだろうに、これもいまいちって感じだったもんなあ。最後の精霊流しの光景は、確かによかった。けれども、それだけかなあ。ロケ地として、東山手の洋館群を松坂慶子の経営する喫茶店の設定として使ってるけれど、そんな無理なことしなくても、もう少し建物はあるんじゃないかなあ。市内にだっていくらか洋館はあるだろうに。ま、この辺は地元民ならではの違和感からってのもあるし、使いようによっては別に問題ないけど。

ただ、長崎にこだわるんなら、北鎌倉とか材木座にもこだわんなくちゃ、やっぱりバランスが取れないと思う。あれ、どう見ても北鎌倉でも材木座でもないよねえ。その辺のこだわりがないと、逆に長崎って土地へのこだわりが浮かび上がってこない。長崎の風景にいまいちオーラが感じられなかったのは、究極のところ、そういうこだわりがなかったからじゃないかな、という気がしてる。

それとともに僕が残念だったのは、内田朝陽が長崎に帰ることになって、工場の人に見送られながら寝台特急―たぶん「さくら」号―に乗り込むシーン。さくら号に乗ったことのない人にはどうでもいいかもしれないけれど、そこにたまたま映ってた機関車が、九州内を牽引するED76の赤い車体*1だったのには萎えた。あの車体を見た瞬間、「お前はこれから長崎に向かうのか、それともほんとは北鎌倉に行くのか?」って感じで、一瞬にして場所の感覚がなくなっちゃった。よく見ると、画面に映り込んでるゴミ箱もJR九州仕様のゴミ箱だったし。あれは、やっぱり東京で撮影すべきだったでしょう。あるいは余計なものが映り込まないよう、ていねいに画を撮るか。

そんなわけで、せっかくの長崎を舞台にした映画なのに、構成や人物描写にちょっと難があってあんまり…というのが正直なところ。同じさだまさしの「解夏」の方はどうなんだろ?

あ、ちなみに精霊流しでしんみりするのは、基本的には遺族。担ぎ手は飲み食いや爆竹・花火で賑やかにしてるから、さだまさしの歌の雰囲気を期待して見に行くとえらい目に遭うこと間違いなし。それから、今では市内では精霊船を海には流さない。港まで持ってって、そこで船に積み込んで終了。ゴミ扱いなんだよな。だからあんな風に砂浜で精霊船を見送りながらしんみりするなんてことは、現実にはもうない。

*1:知ってる人には当たり前の知識だけれど、九州行の寝台特急って、東京から下関までは同じ機関車EF66が牽引し、下関で関門トンネル用の機関車EF81に付け替える。そして門司でさらに九州用の機関車ED76に付け替える。真っ赤な車体は、九州用のED76のもの。それぞれの区間で電流方式が違うためにこういうことをするんだけれど、やっぱり機関車が違うと印象もずいぶん変わってくるもんだ。