大豪邸。

合宿後、数人で世田谷は上野毛にある五島美術館に行く。今日までやってた『明月記』の展示を見る。全巻展示という壮観な展示で、一つ一つ見てくとずいぶん時間がかかっちゃった。でも、想像以上にお客さんが多かった。確かに明月記はすごいけど、別にビジュアル的には派手さはないし、どうしてあんなに人が多かったのか、正直よくわかんない。

せっかくだからってんで五島邸の庭も散策。なんでこんなものがあるんだろうって思わず考えちゃうほどさまざまなバリエーションの石造物が庭の随所に置かれている。うーん、謎。

で、ぷらぷら高級住宅街を散策しながら駅に向かっていたら、あるところに一枚の金属製の住宅地図を発見。ぼやーっと見てると、住宅地図のはずなのに、下の方に地名表記みたいな広大な一角を発見。しかも「小佐野」って書いてある。「この“小佐野”って何?地名?それとも、これも家なわけ…?」そこにいるみんなの心に、にわかに好奇の欲望が沸き起こった。なぜならその「小佐野」なる一角は、広大な敷地だと思っていた五島邸に匹敵、いや、五島邸よりも広さでは上回っていると思われたからだ。誰かが言った。「これって、もしかして、個人の…家?」

もう、確かめてみるほかなかった。こんなところ、滅多に来ることないし、来たところで一人で行ってみようだなんて思わないだろうから。

上野毛は閑静な高級住宅街だった。ゆったりとした敷地に雰囲気のいい家々がのんびりと構えていた。そんな街並みが途切れるあたり、あの地図でいう「小佐野」のあたりに、白亜の大豪邸が見えた。門構えがとにかくすごい。その奥にはヨーロッパのお城のような4階建てくらいの建物がそびえ、道路に面して車2台はいっぺんに出し入れできそうな駐車場入口のシャッターがあった。

「ああ、やっぱり政商小佐野賢治の家は違うねえ…」とみんなで溜息をつきながら、せっかくだから正門にまわってみようよと誰かが言って、正門の方にまわってみた。するとそこはなんと“渡辺さん(仮称)”の家!

あれ?ここ小佐野賢治の家じゃないの?と謎を口々にしていたみんなの目に、渡辺さんち(仮称)の向こうにある、豪邸だと思ってた(十分すぎるほど豪邸だけど)渡辺さんち(仮称)の敷地の長辺ほどもある広大な入り口が見えてきた。「あ、もしかしてここじゃ…」

確かにそこは、小佐野家であった。小佐野賢治って表札が出てた。

僕らはみな一瞬、言葉を失った。今まで道すがら見てきた豪邸が、まるでままごとの家のように思えてきた。とにかく凄まじい規模の門構え。門を入った道は、小高い山に向かって続いていくのは門の外からでもわかるんだけれど、その上には2階建ての普通の家みたいなのしかない。「あれって、たぶん詰所かなんかだよね…」

もちろん、小佐野家本邸など門からは見えやしない。まるで公園入口のようなたたずまい。それだけでも、想像を絶する広大さを理解することができた。

今まで気分よく散歩してた僕らは、圧倒的な資本を見せつけられて萎え萎えになりながらも、せっかくだからぐるっと回ってみようということになり、ちょっとまわりをめぐってみた。

南の方は第三京浜に面し、敷地そのものは国分寺崖線を取り込んである。これは五島邸と同じ。けれども本邸がどこになるのか、結局わからずじまい。見えたのは、敷地内とおぼしき場所にある給水塔だけだった。

崖線下の二子玉川までの道を歩きながら、そのまわりに立ち並ぶ“高級”マンションが、正直長屋にしか見えなくなってる自分に気づいた。いや、あれはさすがにあんまりだ。あんなものを目の当たりにしてしまうと、セレブだとかなんとかいう小金持ちも僕らの仲間だとすら思えてきてしまう(笑)

社会の中に多少不平等があったって、資本主義社会である以上是非はともかくしょうがないことではあるけれど、あんな大豪邸を構える人がいる一方で飢えに苦しむ人がいるっていう社会はまずいだろう。その点現代は、そこまで貧富の差が大きくないような気はするけれど、競争社会だとかなんとか言ってもしあんな富豪が生まれるような社会を日本が目指すようになるのなら、この社会も終わりだなと思う。いや、あんな家一代で建てちゃうなんて、なんかおかしいよ。